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自己憐憫ミームの蔓延

すでに指摘したとおり、マスコミや世間がしたり顔でヒステリックに騒ぎ立てるほどに自己憐憫のミームは増殖し、次次に自殺者を生んでいる(→記事@記事A)。前に紹介した旧制一高生藤村操が名文を残して華厳の滝に飛び込んだ後も、次々に自殺者が続いた。なんと慰霊碑までできている。これを「ウェルテル効果」(『ウェルテルの悩み』に由来)と言うことはすでに述べた。

自殺者の心理は「生きたい願望」の裏返しなのだ。しかし世間の風潮が自殺者に同情を寄せ、理解を寄せるほどに、自殺志願者はそこに「自己存在の確認」の希望を見出してしまう。ネガ的なアイデンティティの確認である。彼らにとって世間が正当な自殺の理由を提供しているのだ。これ以上の自殺者を生まないためには、自殺には希望がないこと、その無意味さを徹底的に理解させることである。高齢者の自殺動機とは異なる若い人々においては、特にそれが言える。

Commented by Luke 2006年10月30日(月)07:59

他殺の場合も、例えば永山則夫死刑囚のように、貧困が犯行の原因とされ、社会の責任が問われたケースもあった。しかしポイントは、実行犯は誰かと言うことである。あの奈良女児殺害事件でも小林薫死刑囚の弁護人のように、社会があのような人格を生み出したとする主張もあるが、実行したのは彼自身である。

同様に自殺が立派な殺人であり、対象が自分であることをもって、その行為が正当化されるわけではない。正当化する人々の思考の根底には、「自分の所有物は自分の意志でどうにでもできる」と言う価値観がある。しかし仏教においてすら、命はいただきものである、自分は生かされている、と言う価値観の上に立っている。よって自分の命を自分の気まぐれで終わらせることなどは立派な罪なのだ。「いじめられたから自殺する」は正当化できないし、してはならない。

このことを徹底的に教えない限り、「お荷物はこれでなくなります」とか言った自己憐憫の病理の典型はなくならないであろう。自己憐憫は自己愛の裏返しであり、その根底には肥大化した「自己の病理」が潜んでいる。みのもんたよ、えらそうに説教する前に、お前さんが社会ヒステリーを煽って自殺者を生み出していることに気づけよ。このおっさん、自覚がないだけに困ったものだ。

Commented by Sala Eメール 2006年10月30日(月)08:36

アーメンです。

Commented by Luke 2006年10月30日(月)21:33

今度は必修科目未習高校の校長が自殺とか・・・。こんなことは死ぬほどのことかよ。いつまで続く、このぬかるみは。ニッポンはほんとヤバイですよ。

Commented by Luke 2006年10月31日(火)08:09

またです、パワハラ受けたと女性教諭自殺。
http://www.asahi.com/national/update/1031/TKY200610300372.html?ref=rss

こうなると自殺した者勝ちみたいな雰囲気。

Commented by kenji 2006年11月03日(金)18:50

今度は警官が拳銃自殺です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061103-00000069-jij-soci