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人類はどこまで・・・

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ニッポンはオリンピックでメダルラッシュのようです。で、私と言いますと、私が関心があるのは、たとえば100mで人間はどこまで記録を伸ばせるか、です。どうみたって5秒はムリ。まあ9秒台の後半でしょうが、必ず壁があります。すると後は計測技術の問題となります。9.9だったのが、9.89、9.889、9.8889・・・と。有効数字が限りなく増えるわけです。こうなると果たして人類の記録は有理数の世界に収まるのか、無理数の世界まで入るのか、みたいな話になります。極限値はどこなのでしょうね。

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素粒子がまたまた増えそうです。何でも未知の粒子が99.99%の確率で発見されたとかで、「超対象性の破れ」とかの理論によると素粒子は今の17種類の倍になってしまうらしい。分子→原子→素粒子→・・・と、これもまたどこに収束していくのでしょうか。私は量子力学(ヒルベルト空間における線形作用素の固有値問題)まではついていけますが、素粒子になるとアウトです。「匂い」とか「チャーム」とかワケのわからない物理量が出てきて、イメージすらできません。この世界でも人類はどこまでいけるのか。

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私は生命を物理化学的現象に還元する主義では、もちろんありません。いのちは物理化学現象と表裏一体ですが、後者だけの現象ではありません。聖書によれば、肉体から霊が離れる時に、いわゆる死となります。霊が肉体と言う容器の中で生きている状態が生です。

そこで興味があるのが、物理化学現象と霊との相互作用とは一体どんな原理によるのか、ということです。例えば、大脳は約100億のニューロン(神経細胞)の複雑なネットワークと、そのつなぎ目(シナプス)における神経伝達物質の分泌によって作動しているが、神経伝達物質はニューロンの中の微細構造である微細管の上をキャリアが運ぶことが知られてきている。

つまり私が今コレを書いている間も、そのようなミクロの物理化学的現象が生じているわけで、その現象は物理化学の原理に即していると同時に、私の自由意志に服しているわけです。私が書きたいと思ったから、書き出したわけで、それに伴ってミクロな物理化学現象が生じている。

しかし大ベストセラー『馬鹿の壁』や『唯脳論』の養老先生に言わせれば、「いや、逆だよ、物理化学現象だけが精神活動の実体であるから、あなたの自由意志は単なる物理化学現象の法則によってたまたま生じただけ」、となるかもしれない。この場合は単にその物理化学の原理を探ればいいわけで、上の素粒子理論で生命も解明されることになる。自由意志も単なる物理の法則のある面に過ぎないわけ。

対して私は物理化学の領域にはない霊と物質が相互作用を起こして精神活動が行われると見ているので、では、物質は霊の支配を受けることになり、よってその相互作用の法則に関心があるわけです。霊の領域と物質の領域はどのように相互に関わっているのか、これはきわめて興味深いテーマです。もし霊の領域が物質の領域に影響を及ぼすことができるならば、いわゆる超自然的な現象ももちろんアリとなります。

私は「聖霊派」の霊能力志向には浅薄さを禁じ得ないが、そのような現象や奇跡を否定するものではありません。ただキチンと体系付けた上で、そのような賜物も用いたいと思っているわけです。現在のようなパフォーマンス志向のあり方には少々ウンザリしています。

猛暑の夏、Linuxに苦しめられつつ、そろそろあきらめてやっぱりWindowsに戻ろうかとも思い出していますが、ニュースを聞いて、特製ドリンクを飲みながら、つらつらとこんなことを思い巡らしております。