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MS-DOSへの郷愁

富井さんに対してWindows(いのちの御霊の法則)を持っているのに、何ゆえにMS-DOS(石に書かれた律法)を主張するか問いかけましたが、実際の話(喩えではなく)として、私はMS-DOSに対する愛着はけっこうあるのです。

どこかでも書きましたが、Windowsを始めたのは97年からですから。95年にお祭りのごとくにWindows95が発売になっても、かたくなに真っ黒な画面でやっていたのです!それもクロックが10MのPCで・・・。昔CP/Mをやってた頃は8ビットのZ-80で、メモリ空間はたったの64KB。ですから内部をほとんど把握していたのですね。

しかしWindowsはメモリ空間は膨大で、内部で何が起きているのか分からない。自分でやる主義の私は人の作った仕組みの中でやらされるのが嫌だったわけ。かくして世の流れに後れること2年。頑張ったのでありますが、やっぱりWindowsは便利だ。

それでも、現在なお、Windows版のFDというソフトで、中のファイルをすべて見ながら使っているわけ。皆さんはエクスプローラーでしょうが、これは見えるものが限られるのですね。

こんな次第で、再建主義も心情的にはかなり理解できるわけです。

ちなみにソフトウェア工学はかなり霊的なんですよ。特に最近のオブジェクト指向言語はね。こちらをどうぞ⇒JAVAと信仰