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うーむと思わず

やはりコワイです。このキリスト教と言う業界。ジュンヌ・ダルクをはじめ、異端審問で焼かれた人も昔はいたわけですが。再建主義では中絶した女性は死刑だそうです。私は彼らを理解しようと努力したのですが、やはり超えられない一線がありました。

不思議なのはなぜ自分が正しいことをしているのであれば怒るのでしょうか。「人の怒りは義を全うしない」とあったような。私たちが間違った聖書解釈をしているのであれば、納得できる説明があればいくらでも改めるつもりです。私は自由主義神学書など見たこともありません。

創世記4:6-7「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。」

Uテモテ2:25−反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。

とあるのです。もし私の態度に失礼な部分がありましたら謝罪いたします。お赦し下さい。

それに加えて、驚くのは、かつての某集団の人たちもやっぱり見ているんですね、ここを。もう20年前なのですが・・・。で、こんな場面で、富井氏に私のことを告発して、いまだに私に粘着してくるとは・・・。ほんとに驚きます。ほとんどストーカーです。

この集団の名前を出してもいいのですが、まあ、今回は伏せておきましょう。分かる人には分かると思いますが。私は何しろその集団のほぼ絶対的指導者の秘密を握っており、彼を批判したところ、「神に反逆する者」の烙印を押された者ですので、こうなると時が時ならばホント身の危険も覚えます(汗)事実脅迫も受けていますので・・・。

映画でもカトの修道院の隠微な世界を告発したショーン・コネリーの『バラの名前』(だそうです)とか、日本でもカト系某学園の内情を曝露した花村萬月の芥川賞作品『ゲルマニウムの夜』など、この業界に題材をとった作品はたくさんあります。私も文才があれば書いてみたいと思っているくらい。

何でクリスチャンが1%なのか。それは主が憐れみをもって制限されているからです。とても今の現状では人を養うことなどはできません。前にも言いましたが、進化論を批判するならばもっときっちりと勉強してからして欲しいし(私は創造ですよ)、クリスチャンになどとても経済や政治は任せられるわけがありません。そのためにはいのちの成熟と専門性の学びと訓練です。

再度言いましょう:古のヨセフもモーセもエジプト(この世)で学び訓練を受けたのです。神学オツムで世から切断されてはなりません。どんどん世と関わって、世から学び、世のものを神の幕屋の設立のためにぶん取る(合法的にですよ^^)必要があるのです。今の流行のチャーチスクールだのホームスクールだのは今後10年で実を刈り取ります。精神病理の専門家として言えば、それはちょっと寒くなる状況でしょうね。これはここで明言しておきましょう。

新約聖書でもっとも律法を強調したヤコブですらこう言っています:

憐れみは裁きに打ち勝つ。

Commented by 立ち寄り人 2005年10月18日(火)12:01

今度の論争、ではないし、対話、でもないし、何でしょうか、とにかく興味深く拝見しました。山谷氏のサイトでも注目されていたようですが、山谷氏のガチンコ粘着的切り込み方と違ったアプローチで、再建主義の本性を見せてもらえたと感じます。神学的視点からではなく、精神病理的視点からの冷静な対応は見事でした。それにしてもストーカーですか、大変ですね。身辺お気をつけて。

Commented by Luke 2005年10月18日(火)13:42

いえいえ、別にそんなつもりではありませんでした。元々彼が御自分のサイトで私の実名を出して、私が言ってもいないことを批判したわけです。

何でこんな礼儀に反することを、律法を尊重せよ、と教えている人がするのかなと疑問を持ったわけです。彼自身が山谷さんと論争に入る時に、人の言っていることを正確に理解してから批判せよとおっしゃっているのですから。

で、私たちは非礼だなと感じつつも、怒らないのです。なぜかな、と考えるわけです。だからこの機会に彼の話を聴いてみたかったし、理解したかったわけです。再建主義を。

ところがどうみても御言葉に明確に反することを御自分の神学を根拠に主張される。そこで神学の問題に触れたら、逆鱗に触れたというわけです。

こういった経緯は自然科学者同士ではあり得ませんね。私たちはもっと神の創造とか法則に対して峻厳な意識を持っています。モラルにおいても、方法論においても神学は別世界だと感じました^^