主への帰還の旅路


小倉幸子

潜在意識下の荒野時代(16歳-36歳)

高校生になって生きるのが虚しく何のために生きるのか分からず漠然と死にたいと思いながら太宰治他哲学書を読み漁っていた。 同居していた祖父母、両親、姉との不健全な家族関係の日常から人間の体、精神病理や心理を知りたかったこと、知的障害に加え精神障害を併発してしまった姉と将来二人で何とか生きて行けるようにと看護師になった。

 看護学生実習時、器材をきちんと消毒液に浸せていなかったことを叱られた時、自分の無意識に出てしまう行動によって人からいい加減、非常識と言われ思われないようにしなければと強く肝に命じた場面が事あるごとに思い出されてきた。医療ミスや事故にならないようにと神経を張り巡らせていたけれど緊張が解けた時ふとした無意識の振る舞いが人としての常識とか作法が身についていないことへの劣等感、社会に出てから恥ずかしい思いをすることのないように幼少期からきちんと躾けてくれなかった両親への不満が続いていた。

 本当の自分を隠すためのペルソナを頑丈に付けながら次第に仕事にやり甲斐を感じ経済的に自立し充実した生活を送るようになってきたけれどふと我に返り憂鬱になっていた時、あてもなく本を探していたら緑色の表紙の本に目が留まり一頁目を開いてこれだ!と思い購入し深夜一気に読んでしまった。本屋の風景と本を手に取る場面が今も鮮明に思い出される。「『われは道なり、真理なり、生命なり』イエス・キリスト」(三浦綾子著・道ありき)。その後看護学校入学時に教科書と共に配布されていた新約聖書を思い出し読んでみようと何度か挑戦したけれどマタイ1章1節からの系図に躓き諦めた。

 結婚しないつもりだったけれど結婚し子どもが生まれ仕事を続けながらの子育てが限界となり退職した。深夜帰宅と休日出勤の多い夫と二人の子との日々、世の中から隔絶されたような不安が大きくなり心身共に疲労困憊だった2004年1月父が交通事故に遭った時、目を逸らしてきた不安が湧き上がってきた。父は大事に至らず回復したけれど年老いていく祖父や両親のこと、姉の将来を思い憂鬱から抜け出せなくなり結婚してしまった事を後悔した。夫や子たちに迷惑をかけないようにしなければとの強い思いが常に頭の中を占めてきた。子たちを健全に育てていく自信も無くなりどうしたらよいのか分からず心の中で毎日大きな声で「どこかに必ずこの子たちをちゃんと育ててくれる人がいるはず!」と叫んでいた。翌月ゴスペルを習っていた友人から美味しいランチが食べれるよと誘われ行ってみたら、教会だった喫茶の一角に三浦綾子のトラクトが置いてあり16年前に読んだ本と当時の思いが込み上げ…その後教会へと導かれその年の12月26日に受洗した。

暗かった高校時代を経てはじめて出会った新約聖書、イタリアで見た最後の晩餐壁画と夫の部屋にあった同ジグソーパズル、結婚式準備で初めて聞いた1コリント13章4-7節とノンクリばかりの両家と友人参列のキリスト教式挙式と初めて歌った賛美歌。  8年後に主イエス様に初めて意識的に出会えた教会へ行ったのは、その日たまたま次男の通院と重なりその場所がすぐ近くだったから。もし通院の用事がなければ行かなかった。父の事故、家族への憂い、次男の通院とネガティブなことばかりが積み重なっていたことがきっかけだった。特に姉の存在は呪いと思い思われることで恐れ不安が増すばかりだったけれど、牧師から「神さまは不要な人をお造りになられることは決してありません…人を変えることは出来ないけれど自分を変えることはできますよ」と言われ涙があふれた。ヨハネ9章は大きな慰め励ましとなってきた。


顕在意識下の荒野(宗教)時代(36歳-56歳)

創世記を読み始め人間の罪深さを考えさせられ…有限の地球資源はいつか枯渇し人間が存在することで更に環境破壊が進むと憂いていた。YHWHが人を創造された目的を理解出来ていなかったこと、霊の領域をこの世の延長でしか想像することが出来なかったため…天には無尽蔵のあらゆる恵みが満ちている(1テモテ6:17)ことに思いが及ばなかったから…自分が存在すること自体を否定し楽しく過ごすことはもってのほかと罪悪感を感じていた。死んだら天国に行けることだけで十分と言い聞かせながら常に不足感、恐れ、不安の霊に覆われて生きていた。更にプライベートの悩みまで最初から境界線なく牧師に全面的に依存してしまっていた(母の最期お世話になったことなど恩義に感じるあまり報いなければと牧師を主ご自身のように慕ってしまっていた)。

 幼い頃から条件付きの愛ベースだったから目に見えてわかりやすいヒューマニズム愛を自他共に求めるようになっていた。次第に教会の暗黙のルールと教えに違和感と不信感で耐えられなくなり受洗6年後に疲れ果て教会を離れた。離れてからも不信仰との強い罪責感と牧師に対するネガティブな思いで苦しく、自我を十字架につけよと言われ続けたことで一段と人間の基本的欲求はすべて罪、罰すべき悪の根源と言われているように感じてしまいますます苦痛が積み重なっていった。  ガラテヤ書とローマ書を読み漁り自分を十字架につけるの意味を考え続け…精神病理や心理学、ブッダの教えなど様々な多くの本を読み漁った。聖書土台の精神科医かカウンセラーを探したけれど見つからず普通のカウンセリングを受けるも日々の子育て生活や再開していた仕事、介護も重なりそれどころではなくなっていた。

 五年前両股関節の手術後、それまで心の拠り所となっていた仕事への自信をも失い何の役にも立てなくなった自分を突きつけられた時、不信仰への思いがより強くなり牧師とも和解しなければと思い再び教会へ行くようになった。条件付きの愛ベースだったから何か少しでも役に立ちたいお返ししなければと強い焦燥感と不安から意気込んでいたけれど、ある事がきっかけで限界となり再び離れた。


セコンド・エクソダス以降(56才-現在)

前回離れた時以上に苦しくなり、和解と恩返しのつもりでやり直そうと思っていたのに自分の愛の無さと不信仰との思いに責め立てられ心身共病んでしまった。誰とも会えなくなり心の底からイエス様を叫び求めながら聖書を読むことしか出来なくされた。

 次第に今まで主の前にも本当の自分ではなく世の常識的であろうと見せるための偽りの自分だったこと、人と比べては劣等感と優越感の繰り返しだったことに気付かされた。2コリント10:12が理屈でなく腹の底にストンと落ちてようやく自分のものとなった。  徐々に気力が回復しYouTubeを通して同じ苦しみを抱えている人が多くいることを知りzoomで参加できる集まりに出会えた。

 一昨年秋、キングダム・フェロシップの動画に出会い…宗教の偽りについてはっきり明確に繰り返し語られ、40年探し求めてきた聖書土台の精神病理他、貴重な記録物や動画があふれるばかり開示されいつでも無償で視聴することが出来るとは!…願い求めていた以上の膨大な恵みを主は備えて導いてくださったことが夢のように思う。

 一年前にリアルで集えるエクレシアへ導かれた。教会を離れる直接のきっかけとなったトラブルに、講師として来られていた方をも巻き込んで心を傷つける結果となってしまっていた。一年前その方から連絡をいただいた時に同じような苦みを通られ徐々に回復されたことを知った。教会の内情を同時に共有し共感していただけたことは大きな慰めと励ましとなった。初対面時からキリスト教会特有の偽善的な気配は全く感じられず、ごく自然な爽やかな雰囲気を感じたことが印象に残っていた。

  イエス様に出会うまでの20年、どなたかを知らないまま求めていた私を主は潜在意識の内からノックしていてくださった。アダムの体に主の息(霊)が吹き込まれ生きる魂となったから…霊は死んでしまっていたけれど魂の中には主の霊と交信できるごく微量のカケラが残っていたから…主は叫びに応えてくださりご自身の所有としてくださった。

 そしてその後20年の宗教生活からようやくセコンド・エクソダスへと導かれ、体中に纏わりついてしまっていた過去の負の記憶はすべて主の光によって削ぎ落とされた。先祖代々アダムからの歴史を通して積み重なってきた善悪の知識の木の生き方に支配された集合的無意識の領域と、知覚できるこの世の常識はすべてサタンの支配下の偽りのマトリックスで埋め尽くされていたことを悟った。

 2ヶ月前コンロ3つから50センチ程の火が立ち上っている横に亡き父が立っている夢を見た。生後すぐから親、学校、社会、宗教を通して刷り込まれてきた偽りのすべてが焼き尽くすささげ物となって、主の御前に立ち昇る煙となって砕け散り消え失せたことを確信した。  この世で称賛される価値観、常識、愛、善…のすべては善悪の知識の木の路線上の幻想に過ぎなかった。本質は霊であり、いのちの木の御座に在り、主と純粋に交信できるように回復され、ようやくiPAIに覚醒することができた。過去の呪いがすべて主の光によって祝福に変えられた!

順境の時、悩みで頭がいっぱいになった時も主を忘れてしまい、どうにもならなくなった時だけ主に願い求めるような不真実、不誠実な者であったのに主は見離すことなくいつも真実で誠実なお方だった(1テモテ2章13節)。どんなに苦しく困難だった時にも必ず共にいてあらゆる場面で守り導いてくださっていた(1コリント10章13節)。数え切れない書き記せないほどの恵みがあふれ思い起こされてくる。『汝今知らず後悟るべし』(ヨハネ13章7節)。主のしてくださった良き事を思い出す時こんなにも心満たされ平安になれるとは思いもよらなかった(詩篇103篇2節)。他にも気づかないまま数えきれないくらい守られてきたことを思う。

 いつも主の事を思っていなさい(2テモテ2章8節)の理由がよくわかった。暗闇に光が差し込んだ瞬間に暗闇は消え去るように…ネガティブな思いは消え去り同時に安堵と嬉しさが込み上げてくる。先日ノンクリの20年来私の浮き沈みを見守ってくれていた友人に久しぶりに会った時「今日の小倉さんとてもきらきらしてる」と言われたことが素直に嬉しい。

 

軽くされた魂の波動と共鳴する人々やものごととごく自然に出会わされるYHWH(宇宙)の法則を通して…やっと主イエスの種が埋め込まれた、主の体性記憶に基づいた本来の自己へと帰還することができたよう。  どうして最初から気づかせてくれなかったのかと思うことあったけれど、主は壊れてしまわないように私の魂の状態に合わせて徐々に優しく霊の光を当ててくださっていた。これからも主は私の魂の状態に合わせて螺旋階段を上るように成長と成熟を繰り返しながら整えてくださり、主と同じ波動へと近づけられていく幸いに感謝!Hallelujah!!


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