ラウル・ド・オリベイラ氏に聴くリバイバル新聞掲載予定記事のオリジナル 英国キングダム・フェイス・チャーチ(KFC)のメンバーであるラウル・ド・オリベイラ氏は、このキャンプでもパーカッションとトランペットを担当し、ひじょうに油塗りのあるパフォーマンスを見せていた。日本の人気ポップ・グループ、「ドリームズ・カム・トゥルー(ドリカム)」のバックでもトランペットを吹き、共にツアーを組んで活躍している。彼は「ドリカム」のメンバーにも福音を伝えており、彼らはステージに立つ前に共に手を取り合って祈っている。 ラウルはポルトガルに生まれ、ピアノからトランペットまで広く音楽を学び、実の兄弟ジェイミーと共にバンドを組んでリスボンを中心に活躍した。その後軍隊を経て、英国に移住し、エルトン・ジョン、ジョアン・アーマトラディング、ペトラ・クラーク、スリー・ディグリーズ、ペットショップ・ボーイズなどと共に活動する。 一九八五年、中国をツアーした際、きわめて個人的な「神との出会い」を経験し八六年に受洗する。それにより彼の人生観は根底から変わり、その音楽の才能をキリストのために捧げることを決意する。霊的には彼もまたウォッチマン・ニーの深い影響を受けている。音楽的にはスプリング・ハーヴェストなどにおいてキリスト教会の音楽のレベルを引き上げ、デイヴィッド・フェリンハム、グラハム・ケンドリック、ケヴィン・プロシュ、クリス・ボウォーター、ノエル・リチャード、デイヴ・ビルブローなどのクリスチャン・アーチストをそのアノインティングにより深く啓発した。妻クリスとの間にイサベル、ニコラス、マイケル、ハンナの四人の子供を持ち、ウエスト・サセックスのホーシャム在住。 今回の取材は、本紙でも「はちこ日記」でおなじみの『ヤベツの祈り』の訳者でもある中村佐知氏(はちこさん)と、ご主人でシカゴ大学準教授の地球物理学者昇氏(ぼぼるさん)も同席され、四人の楽しい会話の中で進められた。 ルーク: きょうは感謝します。キャンプでの油塗りのあるワーシップを楽しんでいます。ぼぼるさんは昨年のキャンプにおいてあなたのパーカッションの素晴らしさに感動され、この一年ご自分でもコンガの練習をしていたんですね。 ぼぼる: キャンプのワーシップは素晴らしく、豊かな油塗りと深いキリストの御臨在を感じます。KFCのワーシップ・チームは、聖歌隊やバンドもあわせるとかなりの大所帯なのに、霊においてすばらしい"ひとつ"が見てとれます。あれだけの人数が一緒に集まって練習するだけでも大変なことだと思いますが、どのような頻度で、どのように練習しているのですか? ラウル: 練習の頻度は一週間に一度です。大切なことはそれぞれが御霊の油塗りに服して、お互いの間に"ひとつ"があるかどうかです。主は詩篇百三十三編にあるように、兄弟姉妹の"ひとつ"があるところに豊かな祝福を命じ、濃厚な油塗りがのぞみ、その結果としてワーシップもすばらしいものとなります。 ワーシップとは神を拝することですから、自分の主張などがあってはならないのです。時に自分の意見やアイデアや感覚を主張したくなりますが、そのような時にも"ひとつ"を保つことを最優先するのです。お互いがぶつかりあうような場合も、まず主に服することにより互いに服することができるようになります。私が最近得た啓示なのですが、私たちの内にはキリストからいただいた油塗りがあり、それぞれにキリストご自身が住んで下さっていますから、そのことを真に知る時に、お互いに服することができるのです。こうして"ひとつ"を維持するのです。 はちこ: そうですね、私も今朝のコリンによる「神に真に服することはお互いに服し合うことによって確認される。神を愛すると言いながら、互いに愛することができない者は偽りのうちに歩んでいる。」というメッセージに触れられました。 ルーク: ラウルさんご自身の救いの経験についてお話しいただけますか。 ラウル: これは少し長い話になります。私はポルトガルに生まれました。ポルトガルはカソリックの国ですが、霊的経験はしていませんでした。イギリスに移住してから様々なアーティストたちと活動していました。あるグループとツアーを組んでいた時、あるホテルでギデオンの聖書を見つけたのです。それを開いた時に神は直接に私に話しかけられました。そのホテルで聖書を見出したことは決して偶然ではなく、神の配剤によるものでした。 その後中国のツアーにおいてホテルで御言葉を読み出しました。その際何かが起きたのです。その時一種の霊的な戦いが進行していたのです。私は神の言葉が比類のない力であることを知りました。そして「主は私の光、また私の救い」、また「主は私の固きやぐら」という御言葉をノートに書きました。さらに読み進めると最後に「強くありなさい、勇気を出しなさい、主を待ち望みなさい」という御言葉を黙想しました。その言葉が私を支えることを実感したのです。 その晩、はじめて神に祈るという経験しました。その時私に起きたことは私の思いをはるかに超えており、どう理解してよいかも、どのように説明すべきかも分かりませんでした。ただ私は「神よ、私を救い給え」と祈ったのです。すると罪をきよめる聖なる炎が私を包み、私は平安と喜びで満たされました。そして私は自分が完全に解放されたことを知ったのです。主は私を新しい霊的次元に導いて下さり、「あなたが祈るとき、ただ信じなさい、わたしはあなたに耳を傾ける」と言って下さいました。 翌朝、とにかく教会に行きたいと感じ、ホテルを出て北京の大きなタクシーに乗りました。ある教会の門を入ったとき、はじめてクリスチャンが何であるかを知りました。クリスチャンとはキリストをいのちとして得た人々であり、キリストの体の肢体であるということです。その晩のコンサートの際、また新たなビジョンを見ました。それはエペソ六章にあるように、私たちの戦いは血肉に対するものではないということです。霊的領域にいる霊的な存在が対象なのです。 イギリスに戻ってからまた私は、「自己を死に渡しなさい、自己を死につけなさい」という声を聞きました。真にインマヌエルなる神に従うためにはこのことが本質的に重要です。その瞬間は悲惨で絶望的に見えるかもしれませんが、その時にこそ主の十字架のとてつもない復活の力を知るのです。神の敵は神の創造物を破壊しようとしています。信仰の歩みは決して安易な道ではなく、むしろエキサイティングなものであることを知る必要があります。イエスは十字架であらゆる物に勝利されたのですから、私たちもその経験に与るのです。それはただ信じること、信仰によってのみ可能です。敵はすでに敗北しているのです。このようにしてイエスが私の主であり、いのちであることを知り、彼に従うことを知ったのです。 ルーク: ラウルさんはこうして教会での奉仕をなさると同時に、セキュラーな音楽業界でプロとして働かれていますが、この二つの世界で活動することについて何か葛藤などを感じることはありませんか? ラウル: そうですね、私はドリカムなどと共に活動することは大きな特権であると感じています。彼らは日本ではナンバーワンです。そのためには互いの調和が大切です。神のなさることは偶然ということはありません。まず神はあらゆる人々の恐れを取り除くことを願っています。これは教会でもこの世でも同じです。セキュラーということについて言えば確かに彼らは神を知りません。しかし二人または三人がわたしの名によって集まるところに、わたしもまたいる、と主は言われます。神は私をそこに置かれることにより、ご自身を彼らに知らせたいのです。 神は誰もがご自身を知ることを願い、ひとりも滅びることを願っていません。私が主の主権に服し、私の言葉や行いが主の表現であれば、そこには平安と安息が満ち、調和がもたらされます。もちろんそれは神の恵みによります。そしてそこには神の祝福があるようになります。私たちは言葉によって人を祝福することも呪うこともできます。 どこにいようとも御霊の力づけによって、あらゆる状況において権威を帯びることができ、嵐や争いを鎮めることができます。私たちはさらに大きなわざをなすであろうという約束をいただいています。そこでどんな状況に置かれようとも、この世に関わることにより、この世は光を見ることができ、彼らは光の下に来ることができるのです。私が加わることで、その場に神の御臨在がもたらされるのです。神は、私たちが神の御国に住み、キリストの臨在のなかに留まり、世に神の御臨在をもたらすために、様々な場面に私たちを置かれるのです。 ルーク: コリンはウォッチマン・ニーによって霊的な目が開かれたわけですが、あなたもニーの影響を受けておられますね。そのあたりをお話し下さい。 ラウル: そうですね、ニーは迫害の下でも決して妥協することがなかった偉大な信仰の器です。彼のメッセージは筆記記録が出版される形であるために、しばしば誤解を受けています。私は彼の代表的な著作によって影響を受けています。例えば"The Spiritual Man"、これはかなりの大作ですが、それに"Sit, Walk, Stand"などです。いずれも素晴らしい霊的な養いを提供しています。 ぼぼる: 私はミュージシャンではなくて科学者なんですが、時々、向上しようとか実績を上げようとかして、自分の持つベストを追求するあまり神様が自分に求めているものを見失ってしまうことがあります。そういった職業意識が神様の召命のさまたげになったりすることはありませんか。 ラウル: 私はクリスチャンになる前からプロとして音楽活動をしていましたが、要は、自分は何のためにこの仕事をしているのかということだと思います。主は私にモーセの場合を見せて下さいました。まず主はモーセに手の中に持つ物は何かと問われました。それはモーセにとってはとても大切なものでした。彼の杖です。杖は彼を支えました。杖を下ろすと力を失い、杖を上げると力を得たのです。 私が何をなし得るかが問題ではなく、神が私を通して何をなされるかが問題なのです。ここが重要なポイントです。私はこのために用いられることを願います。大切なのは自分で奮闘努力することではありません。神のたった一言の言葉ははるかにすぐれた業をなさるのです。ですからあらゆる場面で御霊に服し、御霊に聞き、御霊に従うことです。神の語りかけを得るときに音楽も油塗られ、多くの人々にインスピレーションを与えることができます。ですからあなたを通して神が栄光化されることを求め、人々に仕え、助けることを心に留めるべきです。物理学者は自然界についていろいろな分析や説明をすることができますが、ただ神のみがいのちを与えることができるのです。 ですから神の言葉を読み、神の言葉を祈り、あなたを通して神が業をなさることを求めるようにお勧めします。御霊が新しいメロディをかなでていただくことを求めるのです。新しいビジョンを得させていただくのです。自分で努力するのではなく、御霊にしていただくのです。自分では知り得ないこと、自分ではできないことを知る必要があります。なぜなら神は「わたしの道はあなたの道とは違う」と言われるからです。詩篇百三十一編に「主よ、わたしの心は奢っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように母の胸にいる幼子のようにします」とあるように、ただ神に信頼することが大切です。そのような啓示は自分で得るものではなく、御霊が与えて下さるのです。 ぼぼる: 感謝します。 ルーク: 最近KFMのワーシップCD"MORE FIRE- Faith'97"が日本でも発売になりましたが、もし導きがあれば日本にもワーシプチームとして来てくださいますか。 ラウル: 喜んで。私は日本が大好きで、友人も沢山います。ただ神にはご計画があります。日本に対するご計画もあります。すべてのクリスチャンがひとつの神を拝し、ひとつの御霊を受け、ひとつのバプテスマを受けていることの啓示を得て、ひとつになるところに真に神を拝するワーシップが生まれます。エゼキエルにあるようにバラバラだった骨が組み立てられ、内臓が付き、皮膚が付いて、キリストのいのちにあって建て上げられるように、日本にも北海道から沖縄までキリストのいのちにあって回復される、そのような霊的覚醒を得る日が来るでしょう。いつになるかは分かりませんが、時が来たら喜んで伺いましょう。 ルーク: KFMのワーシップはとても霊的にも豊かに油塗られ、音楽的にもすばらしいものですが、誰が作詞作曲しているのですか。彼らは音楽のプロですか。 ラウル: いいえ、きわめて普通の人たちばかりです。学生さんだったり、ごく普通の兄弟姉妹です。彼らは主とのきわめて個人的な交わりにおいてインスピレーションを得て、詩を書き、曲をつけていくのです。 ルーク: 要するに御霊の油塗りによるということですか。 ラウル: そのとおりです。 ルーク: 最後に日本のみなさんにメッセージをお話し下さい。 ラウル: そうですね、イエスは私たちの真の主です。私たちの何かを主張するのではなく、イエスの下さった約束に対して、信じること、すなわち信仰によって応じることこそがすべての鍵です。イエスは信じる者には何でも可能であると約束しています。 また二人または三人が心を合わせるならば、何でも求めるものはかなえられると約束しています。あなたがたがわたしを愛するならば、わたしの命令にも従うであろうと言われます。また互いに服し、互いに従い合うことができます。するとそこには"ひとつ"が実現します。 主は日本を愛しておられます。日本に対するご計画をお持ちです。その実現のためには私たちがひとつになって協力する必要があります。詩篇百三十三編に「見よ、兄弟たちがひとつになることはなんという幸い。」とありますが、神はそのような"ひとつ"があるところに祝福を命じ、いのちを注がれるのです。私たちは私たちの救い主であるイエス・キリストのみを拝し続ける必要があります。
* * * * 彼とのインタビューを通して、神の祝福と油塗りを得る鍵は、第一にクリスチャンの間の"ひとつ"の実現、第二に自己を退けること、第三に信仰によってイエスを主とすること、それは互いに服し合うことによって証しされること。彼は日本の霊的状況を正確に把握しており、彼の言葉はまさに日本の諸教会に対する真の意味でのプロフェティク(預言的)な言葉であり、具体的チャレンジである。 |