Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2012.08.05

霊に浸される

エクレシアとはキリストの充満、プレローマです。人間的な組織や教団などとは何も関係ありません。いわゆるキリスト教会とエクレシアを同一視することは悲惨です。私たちの内には御霊が内住され、それはすなわ父と子が内住されるのです。三にして一なる神が住まわれるのです。幕屋は南北20枚、西側6枚、東側に両サイドに2枚の立て板が組み合わされていました。これは私たちが組み合わされて神の住まいを構成する模型です。この立て板を結合したのが5本の横棒です。4本は目に見えましたが、1本は見えませんでした。4本は目に見えるいわゆる四役(使徒・預言者・伝道者・牧者/教える者)を意味しますが、この4本だけでは立て板すべてが結合されることないのです。すべてを貫く1本の見えない横棒が必要でした。それは御霊です。私たちの霊的経験はキリストにあって、御霊によってなされます。内も外も霊に浸されることが必要です。この御霊を共有するときにのみ、私たちは真のひとつを味わうことができるのです。聖書解釈や教義や伝統・実行などは無意味です。霊に浸され続けるとき、ロゴスに啓示された霊的事実が私のものとなります。それはお互いに容易に共有することができるでしょう。なぜならルーツが同じだからです。キリスト教の何かを持ち込むのであれば、それは異物です。真理と霊の祈り・霊の歌などにより、御霊に浸透していただきましょう。それは実に幸いな味わいであり、経験です。


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@幕屋の立て板(南北20枚、西側6枚)を組み合わせる横木は5本   →4本は見えるが、1本はすべてを貫いて見えない(出エジプト26:27-28)

A見える4本=キリストの体を建てる4役職:使徒・預言者・伝道者・牧者/教える者(エペソ4:11)→この4本だけではすべての立て板が結合されない

B見えない1本=御霊(エペソ4:3)→見えないがすべてを結合する本質的な機能

C霊に内と外を浸される:pleroo=内なる満たし;pletho=外なる満たし→使徒行伝は使い分けている

D霊と真理(ロゴスに啓示された霊的リアリティ)による礼拝(ヨハネ4:24)

E御霊の波動と私たちの波動を共鳴させる(コロサイ3:16)→ロゴスが実体化される=信仰(ヘブル11:1)

F神の御住まいとして組み合わされる=地上でのエクレシアの出現(エペソ1:23;2:22)  注:エペソ1:23の直訳は「エクレシアはキリストの充満(pleroma)である」