終末にあっての情報の仕分け
インターネットは一般の人々の情報の発信と受信を容易にし、その結果人々が得られる情報の量は巨大になりました。しかし情報量が増えたことと情報が豊かになったこととは異なります。むしろ質の良い情報の量は大して変わらず、質の悪い情報だけが肥大化したとも言えます。終末にあってはますます情報が氾濫し、人々の判断を惑わせることでしょう。この情報の洪水におぼれないために、質の良い情報を選ぶ能力が重要となります。「カシュルート」と呼ばれる食物規定(レビ11章、申命記14章)には、食べても良いものと食べてはならない物について示されています。食べてもよい動物はひづめが分かれており、反芻する動物です。エレミヤが巻物を食べたように、食物は霊的にはことば(情報)のことを示しますのでこの規定に従うならば、地から分離されていない(ひずめが分かれていない)ものや、御言葉を反芻していない言葉を霊的体内に取り入れてはならない、つまり信じてはいけないということになります。エジプトで過越があり、解放されて荒野に入ってから、主はイスラエル人達にマナを天から与えられました。過越しの生贄としてイエスが捧げられた後、私たちにもいのちのマナである御言葉が天から常に与えられています。しかし終末にあって、情報の反乱はますます深刻となっていくでしょう。聖であるいのちのことばと、地のものである汚れた言葉を見分ける霊的な能力が益々重要となります。そして、荒野でエジプトの食物を求め、ウズラの肉を食べて食中毒で滅ぼされたイスラエス人にようにならないよう、注意しましょう。。 |