Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2009.12.06

十字架-いのちの交換の場

今日ニッポンキリスト教、もっと一般にキリスト教に欠如しているもの、それは十字架です。なぜか十字架を語ると諸々のヒステリックな反応が生まれます。なぜでしょう。それは十字架はセルフを殺すからです。セルフは何とか自分を保とうとします。このとき魂には生まれつきのエネルギーがカセクト(集積)して、緊張・不安・焦りなどを生みます。十字架が適用されるとき、その自己にカセクトされたエネルギーは解消され、平安と安息にあって、魂に霊のエネルギーが流れ込むようになります。十字架は魂の機能停止ではなく、エネルギーの交換の場であり、何をいのちとするか、その交換がなされる場なのです。このとき魂はますます躍動的に活動するでしょう。感情は安定しつつ、しかも豊かに、意志は感情に影響されずに、御言葉を通して語られる主のことばに即し、思いは霊につけられていのちと平安を生み出します。かくして私たちの内的経験は実に豊かになるのです。生きていることそのものを堪能することができるでしょう。そのためにはまず失うこと。失えば得るのです。時に十字架は御霊が御言葉と共に働く場であり、魂の痛みを生み出すこともありますが、しかし必ず神の慰めがあり、甘美なのです。失えば失うほど復活の領域にあって豊かに得ることができると知れば、私たちはますます十字架を慕い求めるようになるでしょう。かくして豊かな者はますます豊かにされるのです!


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聖書:ルカ9:23−24;コロサイ1:29


 @肉の意味:fleshは2つの要素をもつ、i.e.内に住む罪(ローマ7:18-20)と私(ローマ7:18)
 A神の側のわざ:罪をキリストの肉体において十字架で処罰した(ローマ8:3;2コリント5:21)
 B私たちの側の責任:私(=魂)を否む・放棄する(ルカ9:23-24)→魂を救う
  注:「否む」とは魂の機能停止ではない、私も生きているが(ガラテヤ2:20)、エネルギー源の切り替え
 C十字架:2法則の交換の場、i.e.罪と死の法則→いのちの御霊の法則(ローマ8:2)
 D魂のエネルギーから霊のエネルギーへといのちが交換する(コロサイ1:29;働くの原語はenergeo)
 E自己(セルフ)の病理からの解放:セルフの表現は意志、意志から行動、行動はそれぞれの刈り取り→意志が感情から解放される必要がある
 


●暗証聖句●


ルカ9:23-24 わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。


ローマ8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。


コロサイ1:29 このために、わたしは労苦しており、わたしの内に力強く働く、キリストの力によって闘っています。