Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.08.03


時を見る目(23)

エゼキエル47章には神殿から流れるいのちの水の光景があります。この水は神殿の敷居の下、祭壇の南から流れて、東へと向かいます。しかも神殿から離れるほどにその水かさが増すのです。そしてこの水は汚れた物をきよめ、死んだ物を生き返らせます。また川岸には種々の木が生え、毎月実がなり、実は食用、枯れることのない葉は薬用とされます。私たちの主は十字架につけられました。もしかすると東向きに付けられたのかも知れません。その場合右のわき腹は南側になります。いずれにしろ、キリストは神殿の礎石となられ、そのわき腹の傷から流れた血と水によって私たちは生かされ、癒されたのです。そして信じる者の腹からもいのちの水が川々となって流れ出るのです。その流れは神殿からはなれるほどに深くなることに注意してください。私たちはどこそこへ行けば、聖霊に満たされるとしてあちこちの聖会などを巡りますが、実はそれは自己満足のためなのです。しかし実際は自己から離れるほどに聖霊の満たしは深くなります。私たちは内向きであってはなりません。外へと向かうべきなのです。この水は人々を生かし、癒し、汚れた物をきよめ、豊かな実を結びます。この光景は来るべき新エルサレムにおいて文字通り成就します。そこはいのちだけが満ち溢れる世界。エゼキエルの神殿はいわゆる千年期の光景と解釈されますが、その実際は新エルサレムにあります。それは当初のエデンの園の回復であり、否、それ以上の素晴らしさが満ちる世界です。今の私たちはまだおぼろげですが、その幻に捕えられたら幸いです。


<<週報メッセージアウトライン>>
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=いのちの水の流れ=


聖書:エゼキエル47章

(1)水源:神殿の敷居の下→礎石(=イエス)から流れる(マタイ21:42;1コリント10:4;ヨハネ7:38)

(2)流れの方向:外へ向かって東の方へ(創世記2:8)→神の栄光が世界へ

(3)水源の位置:祭壇の南側→南壁の下→南壁から流れる(ヨハネ19:34)
   仮説:主は東に向かって十字架に付けられると刺された右のわき腹は南側となる

(4)水深:1千キュビットごとに段々深くなり、最後には川になる→遠く離れるほど水かさが増す

(5)川岸の様子:多くの木が生える(cf.黙示録22:2の木は単数形)

(6)川の水の性質:汚れた物をきれいにする;流れによって生き返る;漁師が網を干す;魚の種類が増える→福音伝道の光景(マタイ13:47,48)

(7)沢と沼:きれいにならず塩を取る→教会の実際的光景

(8)月ごとの実:実は食用、葉は薬用(cf.黙示録22章)→いのちの養いと癒し

(9)バビロンは宗教、神の国はいのち!