Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.12.09

神の国の奥義(33)


ベタニアのラザロの家でイエスのために夕食が振舞われました。そこでマリアは高価な純粋なナルドの香油をイエスに注ぎました。すると家の中がその香で一杯になりました。弟子たち、特にユダは貧しい者に売って施せと、もっともらしいことを語りますが、それは偽善です。宗教はつねにそのような善と悪、あるいは損と得の考え方から生まれてきます。わたしたちはただいのちの君であるキリストのみ。すべての動機はキリストであって、その時には何が損で何が徳かとか、何が意義があって、何が意義が無いのかとか、そういった思考パタンを超えます。ただキリストのために自分の最も大切にするもの、究極的には自分を割って、注ぎ出してしまうのです。この時キリストを知る知識の香がわたしたちの周囲に漂うようになります。これが人々の心に渇きを覚えさせ、キリストへの渇望を生じさせるのです。単なる教理とか、キリスト教文化を伝えるのではありません。魂の渇きを起こさせるほどに、私たちが満ち足りている時、私たちから何かが流れます。言葉を超えたオーラが人々をキリストへと向かわせるのです。今の乾いた時代にはまさにこの潤いが必要です。何かを砕いている印象が私たちにあるでしょうか。それとも自分の満足を求め、自分の達成を誇るのでしょうか?神の意図はすべてをキリストにあって、キリストによって、キリストのためになすことです。


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人となられた神Q


■御言葉:ヨハネ12章―イエスvs.宗教

@ベタニヤの家での夕食の目的=イエスのため(2節)
Aマルタの仕事とマリアの行動の対比(2-3節)
B純粋なナルドの香油:純粋=姦淫的でない、頼りとなる;香油=mirrth(没薬)→主の苦難への備え(cf.マタイ2:11―黄金=神性、乳香=復活、没薬=苦難)
  注:300デナリとは1年分の収入(1デナリ=1日の収入)
Cマルコ14:3-9では壷を割った→私たちが割られること
Dいのちの道−キリストのために無駄になる祝福、宗教の道−自分を保つ道
E宗教の偽善性(6節):マタイ26:6-13では「弟子たち」とある
F主と共にいること>>>>貧しい者に施すこと(7節)
G主の応答:「この人のするがままにさせておきなさい」→任意の自由意志による主への捧げ物を主は自由に受けることができる方
Hユダヤ人の目的:イエスだけが目当てでなく、ラザロを見るため(人間の好奇心)→イエスを殺す(宗教の動機)
I神のすべての目的はキリストにあって、キリストによって、キリストのために→キリストこそすべの要



■暗証聖句

12:3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
12:7 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。
12:8 あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」


2コリント2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。

ヘブル1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。