Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.04.22

神の国の奥義(12)


イエスはさらに祈ります。地上におられる間イエスは弟子たちを父の名の中に守りました。それはイエスと父がいのちの交わりにおいてひとつであるためです。私たちは御名の中にとどまるときに守られ、御言葉のゆえに聖別されているのです。私たちは世の価値観とか方法とか達成を求めるものではありません。世とはそれらの組織化された一連のシステムに他なりません。神を排除し、人間が人間だけで生き延びる環境であり、場であるのです。自分が、自分の、自分による生き方−これが世です。それは自己の達成とプライドで構築されていますから、神の言葉(ロゴス)を語り込むならば、必ず反発するのです。しかしその反応が私たちが神の言葉を語るために、世に遣わされている者であることを証明します。私たちが世にあって勝利し得るのは、イエスのゆえであり、その言葉と血とによるのです。自力で勝負すれば、世は悪しき者の支配下にありますから、私たちは敗北するでしょう。しかしそれは一時のものであり、私たちが御名と言葉の中に戻る時、イエスの平安が戻り、私たちは世に対して勝利のスタンスを取ることができます。今後キリスト教会も排教の道を辿るでしょう。世(異邦の女)と結婚するバラムの道を歩むことでしょう。大衆に仕え、大衆を喜ばす伝道がすでになされ、神を自分の幸福の手段としています。このような教会の世化においてはむしろキリスト教からの憎悪を受けることでしょう。主につく者とフェイクを演じる者がますます明確にふるいわけられる時代なのです。


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=イエスの祭司的いのりB=


1. イエスの最後の祈りにある私たち(ヨハネ17章11-19節)

@イエスは父の元に行くが、弟子たちが父の名の中に一つに守られるように祈る(11-12節)→一つとは組織や教団の人間的な一致ではなく、いのちと愛の交わりにあるひとつ
注:イエスとは神の神格の二位であるロゴスが時間と空間に介入された際の人としての名であり、主は救いの意味→主とは父なる神の名でもあり、イエスのことばとわざは父のそれらであった


Aイエスの喜びが弟子たちの内にも満ち溢れるため(13節)→私たちの喜びはイエスの喜びであり、キリストの内に置かれ、キリストが内に生きることによる内発的な喜び

Bイエスは弟子たちに父の言(ロゴス)を与えたが、世(コスモス:世の価値観・道徳・基準などのシステム=肉の欲、目の欲、持ち物の誇り)は弟子たちを憎んだ→神と世は対立する(1ヨハネ2:15-16)

C弟子たちは世にいるが、世からのものではない(同)→神は弟子たちを世にあって守る(1ヨハネ5:18)

D真理(=ロゴス)のうちに聖別する(17節)

E弟子たちは遣わされた存在(18節)→イエスの聖別により弟子たちも聖別される


【暗証聖句】

17:11 わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
17:13 しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
17:15 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
17:16 わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
17:17 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
17:18 わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。
17:19 彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。