Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.12.11



神のエコノミーM

−庭と囲いの幕−

外庭は100×50のサイズで、5キュビトの幅と高さの亜麻布をつなぎ合わせて囲みました。色は白で、神の義を表わします。また私たちが世から見られる際の色でもあるべきです。柱は裁きを意味する青銅の台座の上に建てられ、幕はその銀の鉤にかけられていました。幕は自分では立てないのです。柱はすべて銀の桁でつなぎ合わされました。このように亜麻布で囲まれた領域は神によって聖別された領域であり、荒野であるこの世を旅する私たちの絵でもあります。私たちの祭司としての役割はこの領域、すなわちキリストの中で行なわれ、世から聖別される必要があるのです。入り口は幅4キュビトの幕で、これは全世界のために裂かれた門であるキリストです。救いはすでにすべての人のために用意されていますが、私たちの側の信仰が必要なのです。かくして私たちは神の義により囲まれ、キリストにつながれ、キリストの領域の中で、職務を果たします。しかし地上の幕屋は永遠のものではなく、私たちは地上では旅人であることを意識する必要があります。地のものは過ぎ去るのです。今夜は更けていますが、救いの日は近づいています。この夜には常夜灯をつけて、私たちの魂の状態を見張る必要があります。内側の光をつねに灯していることも私たちの務めなのです。この幕の外を見るならば不義と悲惨に満ち溢れます。私たちの目をますます幕の内に向ける必要があります。



1.神のご計画(=オイコノミア)

・神の家族を得、その家族の中で管理・配分・配剤を行うこと(エペソ1:10;3:2;テトス1:7)

・究極的には神の子たちの出現(ローマ8章)


2.幕屋建造の順序(出エジプト25-30章;1コリント2:9)

@契約の箱→パンの机→燭台→幕屋の幕→壁板・横木→至聖所の垂れ幕→入り口の幕→祭壇→庭→常夜燈→祭司服→聖別→祭壇→いのちの代償→手足の清め→聖別の油→香料

J庭(27:9-19)=私たちの体と霊的生活の領域(ヘブル6:19)

・白い亜麻布で聖別されている→外から見ると白をみる:北と南100キュビト(5×20)、西50キュビト、東30キュビト、計280キュビト、これは覆いの幕の内側の亜麻布のサイズ(26:2-3)→キリストの義(ローマ3:25,26)、また私たちが表現する義(黙示録19:8)

・幕屋の入り口(門)は幅は4キュビト、4色の糸による綴れ織→全世界のためのキリスト(ヨハネ10:9;1ヨハネ2:2)

・柱の台座は青銅、鉤は銀、柱は互いにつながれる→裁きと贖いによって互いに結合さえれる(他のものによってつなぐことは不可能!)

・布は銀の鉤にぶらさげられる→私たちはキリストの枝として木につながるだけ、彼から離れては何もできない(ヨハネ15章)

・聖別され、義とされる領域にあって祭司活動をなし得る→この領域から引き出されない(ヨハネ15:4;1ヨハネ2:24,28)

・この荒野である世では私たちは寄留者(1ペテロ2:11;2コリント5:1)

K常夜灯を至聖所と聖所を隔てる幕の手前に置く:今は霊的にも夜が更け(ローマ13:12)、霊と魂を見張る必要がある(ルカ11:35;9:54欄外注;ヘブル4:12;1テサロニケ5:5;ヘブル13:17;詩篇141:3;cf.黙示録7:15)


■暗証聖句: ローマ3:26;13:11−13、黙示録19:8

それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。

あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい