Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.01.18


良心を強める

霊は良心・直覚・交わりからなります。健康なクリスチャン生活の鍵は清い、クリアな良心にあります。良心が強く、安定し、とがめがなく、安息しているならば直覚もするどく、主との交わりも豊かにされます。良心がきよめられ、クリアになるのはイエスの血によります。イエスの血はすでに流されておりますし、焼き尽くす捧げ物としてのイエスはすでに灰とされています。汚れを受けた時にはこの灰に湧き水を注ぎ、ヒソプによって振り掛けると清められました。このイエスの血と灰を適用することです。神が私たちを義とされましたから、私たちを訴える者はありません。固くこの客観的真理に立って下さい。また一面、主観的には私たちの責任として、良心をきよく保つことが必要です。これは私たちのできる範囲で義務を果たす必要があります。良心は知識と関係しますから、変な知識によって確信を奪われないように、また他人の良心も顧みる必要があります。原則はすべてのことは許されているが、すべてが益になるわけではなく、きよいと思う人にはすべてがきよいのです。かくして私たちは自分の信仰を神の前に保ち、そのことで咎めを受けないことが肝要です。すべて信仰によらないことは罪です。これは外側の規則やdo&dontsの問題ではありません。私たちの良心が神の前で咎めを受けないことはそれぞれの人のレベルによって異なります。そこでそれぞれ達しえたところに従って歩むのです。


1. 霊の構成

@ 良心

A 直覚

B 交わり


2. 霊を強くする鍵-クリアな良心

@ 良心が汚れを受けると霊が弱くされる→信仰の破船(1テモテ1:19)

A 良心を清めるのはイエスの血潮(ヘブル9:9,14;10:22)

B 犠牲の供えとして焼かれたイエスの灰を適用する(民数記19:17,18)

C 神が義とした以上、私たちを訴える者はいない(ローマ8:31)

D 私たちの責任:きよい良心を保つ(使徒23:1;24:16;ローマ13:5)

E 良心と知識の関係(1コリント8:7)→他人の良心に気を配る(1コリント8:12;10:28)

F すべては許されているが、すべてが益になるわけではない(1コリント6:12;テトス1:15)

G 自分の信仰を神の前に保つ;信仰によらないことはすべて罪である(ローマ14:22,23)

H 良心のレベルは人によって異なる→達し得たところによって歩む(ピリピ3:16)

I 光→告白→血の適用→解放→いのちの成長→光→・・・:「いのち増殖サイクル」

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