Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2003.12.07


霊を訓練するB

―御名を呼ぶ−

私たちが問題を抱える時、自分の中に閉じこもり、自分の考え・方法・資源を用いて何とかしようと試みますが、それが追い使いないとき、私たちの感情は不安に襲われ、緊張感や圧迫感でつぶされそうになります。こうして不安神経症(パニック発作)や抑うつ状態に陥ります。自分の中で果てしないグルグル回りをして、ただ時間だけが無意味に過ぎ去り、消耗するのです。目の前の問題自体を取り扱うのではなく、自分から出て、神の知恵と方法と資源を用いる必要があります。神に触れる最も簡単な方法は、御名を呼ぶことです。ヘブル的感覚では、名とその実体はひとつです。イエスとは「神は救い」と言う意味です。私たちがイエスの名を呼ぶ時、神が救いとなってくださるのです。イエスのアイデンティティと神がイエスにあってなされたわざ、その効果が私たちのものとされるのです。初期の教会はいたるところで主の御名を呼び求めていました。私たちの間でただイエスの御名だけが高く上げられる時、それはイエスの臨在が満ち溢れ、イエスだけが高く上がられ、イエスの業が豊かに実現し、私たちはその救いを味わい愉しむことができるでしょう。何か心に重いものを抱えたら、御名を呼ぶことです。霊を訓練するためには口を開く必要があります。自ら口を開いて御名を呼ぶ時に、私たちの霊と共に御霊が父を呼び求めているのです。こうして子としての立場を確認し、父が真実であることを経験することができるのです。

創世記4:26 セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。

1. 心の問題の本質

 @ 感情に蓄積された感情観念複合体に霊が融合したもの

 A エネルギーが解消されないままに残る→緊張感や不安感

 B 問題は事実としてあっても、それをどのように受け取るかによって影響度が異なる

 C 自分の中から出て、自分の資源に頼ることなく、神の資源と方法に頼る必要がある。


2. 御名の力

 @ 名と実体はひとつ

 A イエスとは「神は救い」→名を呼ぶ時に神御自身が救いとなる(詩篇116:4,13,17)

 B 御名を呼ぶことは相手のアイデンティティを認め、相手と関係を求める、最も親密な表現

 C イエスの名にはイエスの本質とイエスのわざのエッセンスが凝縮している

 D 教会とは「いたるところで主の御名を呼び求める者たち」のこと(1コリント1:2)

 E リバイバルとは主の御名だけが高く上げられること


ローマ10:12-13 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。