〜受験の季節に思うこと〜



雅葉は、お勉強はできる方です。
長い時間はやりませんが、短時間で集中してやれるようです。
私に言われて、5年生から塾通いを義務と思ってこなしていました。


雅葉は、中学受験をしました。
私も主人も、受験勉強は一つのチャレンジだと思っていましたので、
何も思い煩わずに塾通いを続けさせていました。


でも、雅葉は苦しんでいました。
受験の季節の秋風が吹く頃から、異常に鼻水が出始めました。
一日にティッシュボックス1箱位はざらでした。
「ティッシュ1箱ぐらい開けないでは、受験生じゃないよ。」
といった辛い時期を迎えておりました。
 
私も、新設の小学校のPTAの会長をしていましたので、
一年間に百数十日をボランティア活動に身を投じて、
西へ、東へと、走り回っていました。
主人も恵比寿支店の支店長になったばかりで、
兎にも角にも、寝る間もなくワークホリック・ビジネスマンとして
走り回っておりました。


私の家は、新設小学校のすぐそばです。
PTAのお母様方が、いきなり訪ねてきたりします。
皆さん、親として期待に胸が膨らんでいたのだと思います。
ある夜、7時頃、PTAのお母様方が訪ねて来られました。
私は、PTAの他の用事で外から帰ってきたばかりでした。
夜でもあったし、話が複雑だったので、リビングにお通ししました。
お母様方は、夕飯を終わってから来られたようでした。


8時半頃、勉強していた雅葉が空腹を訴えて2階から下りてきました。
PTAのお母様方がおっしゃいました。
「雅葉ちゃん、お夜食ですか。」
晩ご飯も食べていなかった雅葉はプッツンと切れました。
台所から食パンだけを持って、一言も言わずに2階に上がりました。
私も母親として辛いものがありました。
それでもお母様方は帰ろうとはしませんでした。


9時半頃、いつもはシンデレラタイムに帰宅する主人が、
珍しく早く帰りました。
主人も如才のない人ですから、
「ごゆっくり」とだけ言って、2階に上がって行きました。
「優しそうなお父さんね、いい旦那さんね。」
と、PTAのお母様方がおっしゃいました。
こんな家族の動きを間近に見てもまだ腰を上げてくれません。
私の頭の中はパニックです。


子どもの食事がないのに、夫にあるわけがありません。
それよりも何よりもリビングに居座るお母様方が問題なのです。
雅葉の顔と主人の顔がグルグルと頭の中を回り始めます。
勇気を出して言いました。
「申し訳ないけど、これでお引き取り願えませんか。」
それでもまだ、何やかやとグズグズします。


そこでやっと分かったのです。お母様方が帰らない訳が。
自分たちの子どもが塾を終えて帰ってくる時間まで、
子どものお迎えをする時間まで、
わが家で時間をつぶしていたのです。


ただいま10時です。用件はほんのちょっとでした。
お母さん方の礼節を失わせかねないこの受験の季節。
周囲の目を気にして「お引き取りいただきたい。」
と口に出せない八方美人の自分が、
情けなくて、いやらしく感じ、悲しかった。


やっとお母様方が帰られました。
2階から、雅葉が下りてきて、言いました。
「おなかがすき過ぎた。」と。
主人も言いました。
「雅葉、ママからいつもこんなひどい目に会わされているのか」と。
実は、私も被害者なのです。
気がついたら、加害者になっていました。


受験の日が来ました。
行きたくて素晴らしいと思われる学校は、家から遠くにあるのです。
朝早く起きて、親子三人電車に乗りました。
塾のお友達も乗っていました。
雅葉は、カバンの中に受験用の参考書ではなく、
ベストセラ−のソフィ−の世界を忍ばせて、
電車の中で読み続けていました。
私が読んでも意味が不明で難しい本なのに。
「集中力がある子だから中学受験だと言っても余裕があるのだな。」
と、私はあきれて感心していました。


残念でした。
選び抜いた2校にチャレンジしたのでしたが、駄目でした。
雅葉は、発表の日泣きました。泣き崩れました。
自信過剰の結果が、自信喪失で泣きぬれ、その日は眠り続けました。


ただ、学校は一日たりとも休んだことはありません。
とても立派です。
不合格の次の日も勇気を出して登校しました。
優しい友人たちに恵まれ、元気に帰宅しました。
それでも、どこかで雅葉の自信が壊されて、
半年間位ふらふら自分をもて余していました。


公立中学に進学し、クラス担任の大森富士子先生のお陰で、
雅葉はよみがえりました。
クラス委員になったり、弁論大会の代表になったり、
美術展や書道展で金賞を受賞したりして、自信を取り戻しました。
学業成績も素晴らしく伸びました。


雅葉がある日言いました。
「お母さま、小枝は折れました。
今度は、挿し木をしてしっかり頑張ります。」



雅葉へ

あなたは手のかからない育児書通りの子供でした。
あなたは物を欲しがったり、わがままを言ったりしたことがなかった。
「美味しいおやつとご飯があればいつも幸せ。」と、
戦時中の大人のようなことを言って笑わせてくれた。
私は、あなたのことで困ったことがなかったから、
お母さん本意の家庭を築いてしまったかも知れません。


雅葉が受験に失敗して泣いている姿を目にして、
私はこの子育ての中で、今一番親らしい親になった気がしました。
この挫折が、きっと雅葉にとって、私にとって、
大きな肥やしとなることと思います。


「教師になりたい。」と言っていますね。
「大森先生のような、
子供の心を分かってあげられる先生になりたい。」と。


雅葉、有り難う。人生は、お互いに勉強の連続です。
中学受験は、母子一対になって歩む厳しい道のりでした。
片手間であなたの将来を造りあげようとしていた私を許してください。


今、雅葉は、自分の力で、自分の目で、自分の足で探し、確信した、
第一志望の浦和明の星女子高校に通う。
ゆっくりと、最善の努力を忘れずに牛歩で歩きましょう。
雅葉には、必ず、あなたならではの道が用意されているのだから。


「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。」
(ローマ人への手紙8・28)



1999.12.5.


金森涼子





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