教え教えられることに思う―コブの上では座れ―
■昔少しだけスキーにトライしたことがありました。スケートは少年時代に諏訪湖で滑っていましたからけっこういけるし、今も公園でローラーブレードを楽しんでいます、が、スキーは結局それっきりになりました。最大の理由はお金がかかることです。当時一つのことがとても印象に残っています。それはコブの上の滑り方です。斜面の凸凹の凸をコブと言いますが、スピードがついているとき、コブに乗ると、それがジャンプ台のようになって、ポーンと飛ばされてしまうのです。
■モノの本によると、「平らなところでも、コブの上でも、重心の高さを一定に保つこと」と書いてあります。物理の法則から見ても確かにそのとおりです。重心が一定であれば、そのまま安定して滑ることができます。しかし理屈はそうでも、実際にやってみるとこれができないのです。頭の中では「重心を一定に」と念じているのですが、体は思うようになりません。何度やってもだめ。いい加減絶望感と共に、自分はセンスがないからだめだあ〜と思い始めていました。
■そんなときスキーのうまい友人がアドバイスをくれました、「唐沢君、コブに乗ったら座ればいいんだよ」。この一言は天からの光でした。そうか!これならできるぞ!さっそくトライすると、何と簡単なことでしょう。コブの上で座れば、膝がかがみますから、自動的に重心は低くなり、平地とコブの上で重心の位置の変化がなくなります。あれほど理屈では分かっていてもできなかったことが、この一言でいとも簡単にできるのです。いや、理屈などは分からなくても、これを実行すれば、コブから飛ばされることはありません。何と単純なことだったでしょう!
■大学でも教会でも教えることが仕事であるぼくにとって、この一件はとても重大な意味があります。皆さんに一生懸命にいろいろとお教えして―それが喜びでもあるのですが―その後で「先生の言われる意味は良く分かるのですが、実際にそれができないから悩んでいるのです」と言われると、ガクッと一挙に落ち込んでしまいます。ああ、伝わっていないんだ・・・。この人の理解力の不足にして逃げてしまおうか、とも考えます。この時の気持ちは何とも言えません。力が一気に抜けてしまいます。しかしその瞬間から、どうやったら霊的な「コブ」への対処を説くことができるのか、御霊から気力をいただいて立ち上がることの繰り返しです。(01.04.07)