Life-Changing Experience!

ライフ・チェインジングな経験 !


2004年度冬期・春期コース受講生の声

 ★クリスチャン・プラクティカル・コース

■このコースで自分の足りないところが示されて、苦しい部分もありましたが、ますます主に頼ることの必要性を覚えることができました。弟子となる事の意味がこれまでとは違った観点から見えるようになりました。

イエスの弟子となることは、いのちがメタモルフォーシスされて、内なるキリストが育つことと知りました。神の畑としてお互いに水を注ぎあって、成長することの願いが強く起こされました。

■このコースの間に自分の周りにいろいろな事件が起こりました。以前であれば目に見えるものによってすぐに動揺してしまったのですが、心の中の平安が増し加わって、内側が動揺することが少なくなってきています。すべての出来事において主の御手を見ることができるようになってきています。

■神の国の拡大のために、自分がなすべきことはまだ明らかではありませんが、イエス様との個人的な交わりが強くされてきています。時が来れば、自分の明確な召命も分かると思います。

■御霊は私たちの環境を計り与えて、私たちがいのちにおいて成長することを助けてくださいます。困難な状況に置かれていますが、この中で主に触れること、主を第一に求め、その交わりにとどまる訓練を受けています。すべてのことにおいて主に感謝せよ。むしろ賛美したくない時に、賛美を捧げることこそ、まことの賛美の生贄であることを経験しています。

■聖霊により自分の見たくない自分の真実を指摘されたり、明け渡したくないものを見せられたり、うめきを覚える場面もたくさんありました。前はそれらのことから目をそらして、ごまかしてきたのですが、このコースを通して、御霊のお取り扱いを受けることができました。本当の意味での恵みを知ることができました。

イエス様の語りかけをはっきりと聞くことができるようになりました。イエス様と会話することは楽しいことです。主はいつも私を顧みて、励ましてくださる方です。家族からも変わったと言われるようになりました。とにかく楽しいです。



2003年度秋期コース受講生の声


 スピリチャル・バイブル・リーディング・コース 

■「今回の学びでもっともうれしかったことは、以前にも増して自由であり、常に礼拝し続ける者に変えられたことです。主から直接油を塗っていただく恵に与ったことです。真理が私のうちでシンプルになるにつれ、主はますます大きくなります。聖書の読み方も、全巻を貫く大路としての神の計画、意図をスタンスとして読むと、何とスッキリ読めることでしょう。すべてがピッタリとはまってきました。昔も今もこれからも寸分の揺るぎもなく変わらずあり続ける神が、私の主であることの恵を受け取っていきます。

■旧約の霊的奥義、旧約と新約ではまったく次元が異なること。十字架の死と復活、新約の恵の中にいる自分のアイデンティティが明確に分かった。いのちの道と善悪知識の道の選択が全聖書を読む時の大切な構図であることが開かれた。「わたしの骨の骨、肉の肉」といわれるキリストと私の関係が開かれ、いのちとして愛される存在であることを知った。

■目からうろこが落ちた。万人祭司、万人預言者、万人王族としてのいのちの吹き込み、みことばを語る実習をした。御霊が直接語りかけて下さるようになった。Lukeさんから聞いて信じたのではなく、自分の目で見て信じるようになり、信仰が自立した。

■霊の見分けについて、イザヤ書、エレミヤ書の告白から明確な霊の見分けを学ぶことができた。私の中にアーメンが与えられた。その他人物像をとおして心の目が大きく開かれた。

■分厚い聖書の全体像が大体つかめた感じがします。私のうちに御霊が臨在されること、神のいのちをいただいて成長し、いずれキリストの花嫁とさせていただくことの私の理解を超えた栄光と素晴らしさに、ただ、ただ、感謝です。御霊の実と伝道の実をこの地上で結びたいと思います。

■死と復活の原理、預言の二面性、神の視点が分かりました。喜び、こみあげる熱いもの、確信、こみあげる涙、一体感。親しい人に手紙を書く時に御言葉を引用している自分を知る。

■このコースを受けるとき「主の主権」について具体的に知りたいと願って受けましたが、あまりにも知らないでいたことにあきれています。自分の必要だけを言い張ってきた幼子から、ほんの少しだけ成長させていただいたかな?と感謝です。毎回思うことは、主のほんとうに計り知れない配慮、忍耐、あわれみ、いつくしみがすべての学びで迫ってきて感動の時でした。自分の書いたレポートは私自身の弱いところを強めてくれる貴重な参考書になりそうです。


2003年度春期コース受講生の声


 クリスチャン・ベイシック・コース 

■クリスチャン・ベイシック・コース、とっても深かったです。初めから聞いていたところにとどまりなさいとありますが、初めから聞いたことがなかったことに気づきました。クリスチャンになって救いの喜びを十分に味わうまもなく「伝道だ、奉仕だ、献金だと・・・」何かせかされたので、今はゆっくりと救いの喜びを味わっています。バイブル・カレッジと平行して神様のお取り扱いもありました。自分のとがっている部分、自分は弱いと思っていたらとっても強かったことが分かりました。私の神、主が、絶えず目を留めて下さっており、すべてが神のご計画の中にあり、私のうちにキリストが形づくられていることを感謝します。学んだことは、I am nothing. キリストに頼るしかない、御言葉を通して主は憐れみ深く、慈しみと慰めに満ち、赦し続けてくださり、情け深い神様の御性質を味わうことができました。「キリストの甘さ」が分かってきたみたいです。

■もうほんとうに盛りだくさんの内容でした。どうにかしてローマ書の6,7,8章あたりが分かるようになりたいと本当に長い間思い続けて6年が経ちました。そして「霊と肉および敵」のテーマの時、ロマ書の6,7,8章が急に開き始めて、特に7章17節-25節にある三つの法則の対立が、あのおなじみの円の図形と共に理解できて、はじめて心からアーメンと言えました。この学びの後半に私にとってかなりショックな出来事が起こり、どうしても平安を得られなかったのですが、ルークさんの学びのテープを聴きながら野菜売り場に来たとき「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きているのです」と聞こえた瞬間、電気ショックを受けたように体中に喜びと感動が走って、ピーマンとほうれん草の前でしばらく泣いてしまいました。こんな中にあって生きる力が喜びとなって出てくるなんて、本当に私に中で[キリストが]生きてくださっていることを実感させていただき、信仰すらも「私たちが生きているのは自分の信仰ではなく、御子の信仰によって生きる」というメッセージを実地訓練させられた瞬間でした

■「思い巡らすことがその人の人生を造る」ということですから、「キリストを思い巡らし」「御言葉を思い巡らし」「賞賛に値することを思い巡らす」ことをして、積極思考によってエンジョイして生活して行こうと思いました。心の病は思いがサラサラと流れず、マイナスな思いが何かに執着し、滞ると起こると言うことがわかりました。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる」、キリストの恵みは自分で何かをすることではなく、キリストにやっていただくことを学びましたので、できる限り、日常生活の大きいことから小さいことに至るまで、神に頼り、キリストから力をいただこうと思いました。ベイシックと言っても非常にハイレベルでしたが、いろいろな方面の真理を本当に惜しみなく、楽しく教えてくださり、興味深く楽しく聞かせて頂きました。

■いつの間にか真理が昔から開かれているかのごとくに錯覚している自分がいます。去年の「真理はあなたを自由にする」を受講しているときの自分を振り返ったとき、いかに思考が変わったかにびっくりしています。キリストが真理であること。これに尽きること。この簡単明瞭な真理に感謝します。明確簡単な真理がこれほど奥深いことにびっくりしています。アップダウンはありますが、すぐに回復することに感謝しています。今まで学んだ真理をどう生活の中で適用するかがこれからの課題です。


2003年度冬期コース受講生の声


 真理の探究コース 

■天地万物創造の神について深く学んだことを喜びと感謝でいっぱいです。創世記から王国までの神の精密なる計画と人間への思いと愛に圧倒され、三位一体の神に対する思いが深められ、今までどうしようもなく心の奥に隠しておいた人への憎しみ、怒り、恨みが消えてしまったのです。

■旧約と新約の関連、および聖書の全体構造が初信者の私にもぼんやりと見えてきました。またほとんど読まないレビ記や申命記が身近になり、霊的な意味がどのようなものか分かり始めてきた。受講して聖書に対する見方、読み方が変わり、御言葉に対する重みが付与されてきた。講義の内容はとても新鮮で、砂地に水が吸収される状態です。初信の私にとって、このような聖書の解き明かしの講義、もっと早くお目にかかりたかったです。

聖書の全体像が分かってきました。6日間の創造が歴史全体の予型というのはびっくりしました。特に難解な黙示録の構造が大分理解でき、初穂の携挙という考え方も成程と思いました。人の創造の目的や生き方についての御心と将来の状態も見えてきました。


 御霊による霊的成長コース 

■真理の二面性を知ることで、御言葉の解釈がスッキリできた。ヒューマトリクスを知ることによって、キリスト者としての歩みが逆転しました。安息を得るために戦うのではなく、まず信仰によって安息に入ることが鍵であること。エペソ、ピリピ、コロサイ各書の御言葉が多く引用され、共に天において王座に着いているという安堵感は日常生活をゆとりあるものとしました。

■ホーリネスについて、自ら聖別し、分離し、点検し、悔い改め・・・と果てしない繰り返しをするのではなく、、また聖別の度合いによって徐々に神に近づくのではなく、いのちが満ち溢れる健やかさ、キリストそのもの、すでに得ていることを知りました。同一視の原理によってキリストの得たものは私のものであることを知り、いのちは自動的に育つことに信頼し、満足するときに大きく成長することを知りました。主により、主にあってひとつとされました。主の成し遂げられたみわざが恵みであり、賜物であり、すべてを値無しに受け、御前に進み出ることができる確信を得ました。いのちに生きる生き方が分かってきました。いのちは神ご自身により自動的に育つことが分かり、私のなすべきこと、私の分を知ることによって、焦ったり、裁くこと、わきまえのない状態から解放されました。

■これまでは自分で信仰を発生させて、自分で信じて、自分で願い求めるガンバリの生き方でした。その結果はいつも空振りばかりでした。でも、これからは神の御子の信仰によって、イエス様が信じてくださる、イエス様に祈っていただく、イエス様が働いてくださる、私はそれを享受し、神がキリストによってなして下さったすべての中にとどまり続けさせていただくだけでよいことが分かりました。

■キリストにあってメタモルフォーシスすることによって、自分が神の子であることを自覚できた。信仰生活がこれからどうなるのだろうという漠然とした恐れと不安から解放された。

■神にとどまること、「しっかり立とうではないか」、「主を仰ぎつ走ろうではないか」という励ましの意味が分かった。いたずらに自分を測り、悩んだり、責めたりする考え方をしなくなった。

■キリストの中にすべてがあり、そのキリストが自分の中におられることを知った。自分で努力して神に喜ばれようとするのではなく、キリストの中に安息する時、キリストがなして下さり、また神が喜ばれるのは唯一キリストであることが分かった。神に対する不信感から解放されて、御言葉に信頼することができるようになってきた。神に受け入れられるかどうかという心配から解放されました。ただキリストに頼ればよいのです、ハレルヤ!

2002年度秋期コース受講生の声


 ★真理はあなたを自由にするコース 

■神学でもがいていて、ほぼすべての点でピントがずれていたことが分かりました。罪からの完全な解放が得られました。

■魂と霊の関係、単数形の罪と複数形の罪とその内容、自己を否むこと、真理の適用、人の構成、肉、信仰の本質、サタンの存在、「・・・た」(完了形)の真理、邦訳の不適切さ、ワンスフォーオールの真理、霊の構成、キリストの内住などの真理が開かれました。経済的な必要、取り繕いの一部減少、プライドの取り扱いを経験しました。

■Dr.ルークの著書で紙袋大小含めて10袋の書物を処分することができました。サタンの罪定めの声で倒れることがなくなり、太いゴムバンドのようなものがパチンと解かれていくような感じです。

■単数形の罪には血潮は有効ではないことを知りました。単数形の罪と複数形の罪があることを知って驚きました。また霊も強くなることを知りました。目から鱗が落ちました。受講前と後では確かに霊が強くされています。すでにイエス様が病気も癒してくださっていることを知り、その真理に留まるときに、喜びが溢れてきました。すでに得ていることを実体化することが信仰であると知り、あちこちの聖会で癒しを求める必要も感じなくなりました。すでに得ているからです。

■今までことばでは知っていても、その意味がはっきりしなかった肉、古い人、罪と罪々の違いなどが明確にされて、ぼんやりとしていた真理がはっきりとしてきた。ことばによって混乱していたが、正しい言葉と正しい表現によって整えられ、落ち着いてきた。外的油注ぎによって成長するのではなく、真理を正しく知ることによって、内側が構築されていくことを実感している。肉のわざを休んで安息することを実践中。

■知恵のある人の舌は人を癒す。疲れていた私がこの学びで元気づけられたました。肉の自己努力、早朝礼拝、徹夜祈祷、断食、奉仕活動、伝道、ニューエイジ関係からの誘い(キリスト教会に絶望しかけていたので)から解放されました。

■Dr.ルークのミニストリーを通して、主の臨在の中に入れること、毎週ここに来て主と交わることが楽しみです。「わたしにとどまりなさい」というキリストの御言葉に習って、完全にとどまる人生の最高の到達点をめざしたいと思います。