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天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:39
投稿者 不思議
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クリスチャンは肉体が死んだとき、天の国へ移されるのは分かりますが、もし報酬を逃した場合は、千年王国のとき、天の国から追い出されてしまうのでしょうか?知っている人がいたら教えてください。
このしもべを外の暗闇へ追い出せ、とあるのでやっぱりそうなのでしょうか。
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Re: 神の国と天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:52
投稿者 Luke
参照先
> ごくごく初歩的な質問で恐縮ですが・・・
> 「主の祈り」で「御国を来たらせたまえ。」の「御国」(Thy kingdom)は、後者の「天の御国」なのでしょうか?そして、今日のクリスチャンが「御国を来たらせたまえ。」と祈る意味・意義について再確認させて頂ければ幸いです。御教示宜しくお願い申し上げます。

現経綸(教会時代)と次の経綸(王国の時代or千年期)では、神の国と天の御国は重なっていますから、区別できません。それはキリストのいのちと統治の領域です。その領域に働く法則(律法)はモーセ律法に勝るいのちの御霊の法則です。ただし現経綸では教会を通して証しされるわけで、その表れは不十分です。なぜなら私たちの体が旧いままであるからです。ですから体の贖いをうめきをもって待ち望んでいるわけです。

今週のColin Urquhartの翻訳でも触れられていますが、天の国は、キリストの受肉によって、すでに地上に到来しました(has come)。ひとりの人の中に存在したそれは、現在の私たちの中でも成長しつつあります(been coming)。そして次の経綸ではキリストが王として再臨されて、目に見える形で地上に王国を確立されます(will come)。三つの時制に注意してください。

そこで私たちが「御国が来たりませ」と祈るとき、第一に私自身の中でキリストのいのちが成長することとキリストの主権に服する(=統治の確立)を意味し、第二に、伝道によってキリストのいのちと統治を増殖させることです。第三にキリストの再臨を願うことです。再建主義者の「地を従わせよ」は次の経綸で完全に成就します。

といって、彼らの言うように現経綸で神の統治がないわけではありません。神は世の動きやサタンの仕業をも用いて、摂理によってご自身の御旨を成就しています。ですから再建主義者の言うディスペンセイション主義は悲観主義・無気力主義というのは当たりません。むしろ世のあらゆる事象に神の御手の介入を見るべきでしょう。これは歴史が証明しますね。

ポスト・ミレの再建主義では、キリストのいのちとそれに伴う統治を見ていないので、<御国の確立=モーセ律法の適用>になり(それ以外はヒューマニズム汚染領域)、それが全地に行われて後に再臨があるわけです。だからモーセ律法の適用のないところには神の統治がないことになります。

プレ・ミレの私は、<御国の確立=キリストのいのちの増殖+キリストの統治(=いのちの御霊の法則に服すること)>であり、現在はbeingの時制ですから、次の再臨後に王国が全地に確立すると解するわけです。現経綸では、このこと(=神の直接統治)はあくまでも信仰によって霊の再生されたクリスチャン(その集合がエクレシア)の中において(in)、また間(among)において成就されます。次の経綸、すなわち再臨後の千年期において、キリストは全地において(all the earth)ご自身の御国を目に見える形で確立されます。しかし神は主権者ですから、現在でも全地を摂理によって治めています。神の主権が及ぶ領域が神の国で、それは全時代、全地に及びます。


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神の国と天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:51
投稿者 うさぎ亭主
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>神の国と天の御国は、後者は前者の一部なのです。

ごくごく初歩的な質問で恐縮ですが・・・
「主の祈り」で「御国を来たらせたまえ。」の「御国」(Thy kingdom)は、後者の「天の御国」なのでしょうか?そして、今日のクリスチャンが「御国を来たらせたまえ。」と祈る意味・意義について再確認させて頂ければ幸いです。御教示宜しくお願い申し上げます。
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Re: 天路歴呈
投稿日 : 2006/02/23 21:50
投稿者 Luke
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ニーが決定論的(神の意志による)で、バンヤンが偶然論的(人間の意志による)とのご指摘は面白いですね。ただ、天国のご理解が私の上の説明とずれています。神の国と天の御国は、後者は前者の一部なのです。ディスペンセイション的に言えば、現在の教会時代と次の千年王国です。神の国はいのちの国であり、全ディスペンセイションを包括します。クリスチャンは一度霊から生まれれば、神の国に入り(イエスのニコデモに対する言葉をお読み下さい)、究極的に新エルサレムとして新天新地に入ります(決定論)。が、今の生き方次第で、次のディスペンセイションである千年王国はミスする人もあるわけです(偶然論)。

カオスの喩えで言えば、ロジスティック写像:a(n+1)=-λa(n)(1-a(n))は決定論ですが、そこから生み出される系列{a(1),a(2),a(3),・・・,a(n),・・・・}はサイコロで作ったもの(偶然)と区別ができないわけです。私たちも究極的には神の国に入っており(神の意志によるロジスティック写像によって生み出された)、新エルサレムへと至りますが、途中で、あるa(n)は現在の自分の意志の結果として懲らしめと訓練の過程をくぐるケースも出るわけです。これが御国(=千年王国)をミスすることですが、永遠の滅びではありません。怠惰なしもべに対する過渡的な懲らしめと訓練です。これがバンヤンの道程でしょう。

永遠の救いは保証されていますから安心してください。でも、千年王国は現在のありかた次第ですから、しっかりと信仰による行いを吟味してください。このような微妙な弛緩と緊張のバランスを私たちは求められているわけです。これが崩れると、交感神経(緊張)と副交感神経(弛緩)のバランスが崩れて、心身症になったりするのと同じなわけですね。

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天路歴呈
投稿日 : 2006/02/23 21:49
投稿者 春野目覚
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ウォッチマン・ニーのフィルターを通じてこの問題を考えると、人が霊から新生し、信仰によっていのちを得、いのちの書に名が記された後にはその後の過程はどうあれ(極論すると聖書が命じるすべての禁止を破ったとしても)千年紀に与えられる訓練によりその人は白い御座の裁きはクリアするということになるのでしょうか。いのちの書に名が記された後には救いは決定論的に進行するように思われてなりません。また千年紀に与えられる訓練はカトリック教会の煉獄を思い起こさせます。(「要理の友」第20課 後の世を参照ください。)

ジョン・バンヤンのフィルターを通じてこの問題を考えると、天国は御神の御恩寵と選びもありますが、信徒の個人的決意と信仰をもってやっとなんとかたどり着くところであり、ひょっとするといのちの書に記された自分の名前が消されてしまうこともあるのではないかと思わせるほどの艱難辛苦が天国への道には待ち構えているように思われるのです。(実際、CLCの天路歴程の紹介文には『天国を目指す一人の信仰者の姿を通して、天国へ入る行程が、どれほど辛く厳しいかが、じつに克明に表現されています。』とあるぐらいです。ひょっとするとより『クルシチャン』向けかもしれませんね。)

カルバンvsアルミニウス-決定論と偶然論ではありませんが、ふたつの相反するような天国入国解釈の板挟みになって混乱をきたしています。(自分の認識論的限界を痛感させられています。)前者の立場に立てばいのちの書に自分の名が記されているという確信があれば何があっても日々之平安でいられます。後者の立場に立てば日々の生活はいのちの書に自分の名が記されているという確信があってもイラクの街角をパトロールする米兵とあまり変わらないでしょう。

誰でも天国に入る者は御神の御恩寵によるのであるからテクニカリティーにこだわりすぎるのはあまりよろしくないのでしょうが、この混乱から速やかに解放され、安易な弁証法的統合によらず、天国をしくじらない天国入国の理解を得たいと願っております。よろしくお導きください。
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Re: 天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:49
投稿者 どたんぱ
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> ちなみに、ルカ19:27で、殺される敵どもは、
> しもべ達ではなく、彼を王と望まなかった、国民たちです。
> イスラエルのことをさしていると思います。
> 14節をお読みください。

重々解っております。ですから「ルークさん」に質問したのです。
この14節がルカにはあってマタイにはないからです。
ちなみに、ルカでも冒頭、19章の13節 しもべを呼んで〜と書いてあります!
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Re: 天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:48
投稿者 Luke
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> ちなみに、ルカ19:27で、殺される敵どもは、
> しもべ達ではなく、彼を王と望まなかった、国民たちです。
> イスラエルのことをさしていると思います。
> 14節をお読みください。

私もそう思います。千年期の取り扱いは、ニーによるとかなりカゲキな要素もありそうです。このあたりは『神の福音(全3巻)』に論じられていますが、よほど十字架の救いの確信と現在の経験的平安を得ていないと、大変ですよ^^

真理は固いものであり、善悪をわきまえる訓練を受けた大人の食べ物である、とヘブル5章にありますが、その実例です。いまの「何でも許して、受容して、愛し合って、ありのままでいい、みんなで天国に行こう・・・」式の砂糖まぶしで育った人は耐えられないでしょう。神の峻厳です。
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Re: 天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:47
投稿者 不思議
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ちなみに、ルカ19:27で、殺される敵どもは、
しもべ達ではなく、彼を王と望まなかった、国民たちです。イスラエルのことをさしていると思います。14節をお読みください。
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Re: 天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:47
投稿者 どたんぱ
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> 春野さん、まず、イエスの十字架の理解から学ばれたほうが
> 良いと思われます。
> ぜひ、ロマ書を読まれてみてはいかがでしょう。

そういう問題ではないと思いますが。春野さんが「聖書の核心」を全く知らないかのような仰り方は、失礼だと思います。
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Re: 天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:46
投稿者 不思議
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春野さん、まず、イエスの十字架の理解から学ばれたほうが良いと思われます。
ぜひ、ロマ書を読まれてみてはいかがでしょう。
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Re: 天の国
投稿日 : 2006/02/23 21:46
投稿者 どたんぱ
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ウオッチマン・ニーの理解では外の暗闇での「再教育・・」なのでしょうか・・「暗闇」とは神のおられない所、懲罰的な所を連想してしまいまが・・?

それとルカの19:13 のミナの喩え話はマタイと酷似していますが 今まで私は、二つとも全く同じものだと理解していました。しかしこの話の最後は、マタイとは違って、ルカ19:27「〜ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。」

とあります。この人たちは「再教育」を受けられず、殺されてしまう人たちと理解できますが・・・Uペテロ2:21のような事なのでしょうか。
(U2:21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。)

ルークさん、どうか、よろしくお願いいたします。

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