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仏教について
投稿日 : 2006/06/18 00:25
投稿者 kamekame
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このサイトで仏教のいろいろな言葉が引用され学ぶことができるのは興味深く感じています。

親鸞や道元や、日本の仏教指導者たちはキリストに直接出会えこそしなかったかもしれませんが、真摯に真理を求めておられたのかなと感じさせられます。

彼らのような宗教的な天才でなくとも、ただの凡人に過ぎないような人間が真理であるキリストに出会えているということは大変感謝なことであります。

しかし、それと同時に、霊においては完全なる真理を与えられているにも関わらず、魂の領域のある側面ににおいては、仏教徒よりもむしろクリスチャンのほうが真理から遠ざかってしまっているということがあるのかなと思わされました。

クリスチャンとして仏教を学ぶことを通して、魂のある面においての真理を学ぶことができるのでしょうか?また、日本人に福音を伝えようとするときに、仏教の言葉を引用しながら伝えるととても分かりやすいのではないかなとも思います。

そんな期待感があり、仏教を学んでみたいなと感じています。

lukeさんは仏教についてはノンクリスチャンのときに主に学ばれたのでしょうか?それともクリスチャンになった後も積極的に学ばれておられるのでしょうか?
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檀家制度の起源
投稿日 : 2006/07/01 00:39
投稿者 kamekame
参照先
>残念ながら永平寺ですら、檀家さんを抱えているのでしょう。

檀家制度の起源は、キリシタン迫害の道具としてはじまったという話を聞いたことがあります。

檀家に入っていない家は、キリシタンの疑いがかけられる。逆にいうとキリシタンではないということを証明するために檀家に入る。

キリシタン迫害以前は檀家制度なんてなかったそうですね。

ちなみに「教会籍」制度も日本独特のものだそうですね。

もしかすると、檀家制度が起源なのかもしれません。

日本教のアイデンティティの中核なのかもしれません。
Re: 仏教について
投稿日 : 2006/06/25 20:44
投稿者 Luke
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>ところで、禅寺というところには、偶像が置いてあるんでしょうか・・

これは面白いご質問です^^実は私も永平寺に行って驚きました。何とご本尊があるとか!?おいおい、禅では、「神に会っては神を殺し、仏に会っては仏を殺すはず」だったのでは???残念ながら永平寺ですら、檀家さんを抱えているのでしょう。するとご本尊が必要になってしまうのですね、これが「葬式仏教」です。

かの「幸福の科学」も当初は人生を考えるだけのサークル的団体だったのが、宗教法人の登録のために礼拝対象を必要として、大川さんがエル・カンターレとしてご本尊となったのです。やれやれご苦労様です・・・。

ニッポン教
投稿日 : 2006/06/25 02:46
投稿者 kamekame
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>kamekameさんの仰る
>「葬式仏教」「儀式の体系」「お布施商売」加え>て、「権力争い」「伝統偶像化」「人間偶像化」
>「日本式祖先崇拝システム」などなど

この表現は、最初の三つがルークさんの日記からの表現で後の四っつは私が付け足してみました。

昔、イザヤベンダサンという人の「日本人とユダヤ人」という本に、日本人の宗教は、仏教であろうと、キリスト教であろうと、神道であろうと、天理教であろうと、あまり変わりはなくて、「日本教」という面で共通しているということを書いていたように思い出しました。

日本教・キリスト派
日本教・仏派
日本教・神道派
日本教・天理派

などなどの派が存在するものの、「日本教」というアイデンティティは共有しているというのです。

最初にあげた、7っつの特質は日本教のどの派にも共通しているのかもしれませんね。

日本教の起源はやはり、アイオーンからきているのでしょうか?

ピリピ3:20
けれども、私たちの国籍は天にあります。

アイオーンから解放されて生きてゆきたいものですね。

弘法大師や親鸞や日蓮はみな迫害を受けたわけですよね。その意味ではアイオーンから逃れていたのでしょうか?

しかし、晩年、あるいは、死後、偶像化されて、見事にアイオーンに利用されてしまったのでしょうか?

そして、もうひとつ大きな疑問は、彼らは今、どこにいるのだろうという疑問なのです。
Re: 仏教について
投稿日 : 2006/06/25 00:44
投稿者 東名高速
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仏教ではなく、禅の思想ですね。

ある、日本画の画家が「無欲ていたん」(恬淡、でしょうか・・漢字を出せません・・・)
と言っていたのを思い出します。
おりに触れて思い出しておりました。
自分はクリスチャンなのに、「貪欲だなあ・・」と感じる時にこの言葉が思い浮かびます。
この世界、キリストギョウカイでしょうか、
この中に居ると主が嫌われる、
「貪欲」というものが何であるのか、分からなくなって来るのかもしれません。
自分の魂の欲、魂の肥大、、このギョウカイ聖霊聖霊と念仏のように唱えているように、私には聞こえてきます。

「いのちの救いは禅にはないけれども〜真理はある」(だったでしょうか、真理に近いだったでしょうか・・)
とルークさんが仰る意味、よく解って来ました。

kamekameさんの仰る
>「葬式仏教」「儀式の体系」「お布施商売」加え>て、「権力争い」「伝統偶像化」「人間偶像化」
>「日本式祖先崇拝システム」などなど

これを読んでいて、愕きました。

今のキリストギョウ界のことを言ってるのかと、目を疑いました。

葬式・・・く結婚式屋専門の金持ち牧師たちは「私たちはみことばを語っているんですよ。」
と豪語し(いい訳として)
儀式の体系・・・人間の決めた礼拝形式の中で
「牧師様の祝祷」をありがたがり、
お布施商売・・このギョウカイ、お布施をしなければ、ギョウカイ員とは認められず、
権力争い、伝統偶像化、人間偶像化(牧師信仰、教会信仰、紅貧信仰、etc)
先祖は崇拝しなくともキリストではなく人間を崇拝している、このギョウ界・・・
こんなところに
よく、自分は居られたものだな、と恥ずかしくなってきます。
ところで、禅寺というところには、偶像が置いてあるんでしょうか・・



心の事実
投稿日 : 2006/06/22 00:44
投稿者 kamekame
参照先
「思想」では無く、「心の事実」なるほど、です。仏教を学びたいと思った私の思いも少しずれていたかもしれません。

今週のメッセージも拝聴させていただきました。
この世のおばさんやおじさんのような処世訓との違いは「パーソン」とのキーワードにも通じるように感じました。

「葬式仏教」「儀式の体系」「お布施商売」加えて、「権力争い」「伝統偶像化」「人間偶像化」「日本式祖先崇拝システム」などなど、それらは「ニッポンブッキョウ」などと呼んで区別しましょうか。

これらの源はやはりアイオーンから来ているのでしょうか?


「禅の修行僧は、、、、"色気"から切れた、淡白にして、清々しい生き方」とのことなんとなくわかるような気がします。以前禅のお坊さんと会話する機会がありました。

「檀家の人たちは仏教と祖先崇拝は違うんだってこと、なかなかわかってくれないんだよね〜。一生懸命伝えようとしてるんだけど、結局、祖先崇拝を求められるからいやんなっちゃうよ。」とこぼしていました。それに、日本の政治や政治家に対して「まつりごとってことがわかってないんだからいやになっちゃうよ。」と言っていました。意味がよくわからなかったのですが、私はただ「ふん、ふん」と聞くだけで、結構長い時間一方的に話していたと思います。一期一会のような機会で、再び会うことはないと思いますがちょっともったいなかったなと思いました。
Re: 仏教について
投稿日 : 2006/06/18 19:35
投稿者 Luke
参照先
そうですね、私が学んだのは「仏教思想」ではなく(私は「キリスト教思想」もほとんど知りませんが・・・)、禅で求めている心の事実です。もちろん魂の領域の経験ですが、善悪とか生死の二元的価値観を超えた世界に、法に任せて生きる姿勢は学ぶべきものが多いです。この点道元はやはり天才ですし、仏道の"ウォッチマン・ニー"と言えるかも知れません。そして人間的視点から見るならば、禅の修行僧は、自己追求に堕している現在のクリスチャンなどよりもはるかに透徹した生き方をしています。脂ぎった牧師センセイなどの放っている"色気"から切れた、淡白にして、清々しい生き方をしているのですね。
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