バビロンは神の神殿の祭具を弄ぶことにより神の裁きを受け滅びます。メディアとペルシャに分かれますが、メディアの王ダレイオスは神の霊が宿るダニエルを信認し、行政を任せようとしますが、部下たちの姦計により、ダニエルは獅子の穴に囚われます。この世の君も私たちに対して種々の策略をもって挑発し、また試みに落とそうとします。時にはダニエルのように、自分が罠に落ちると分かっていても、あえてその罠に落ちる必要もあるのです。しかしこの時もダニエルがなした事はただ主に信頼していたことでした。私たちが神に対してなし得る最高の業は、神が遣わされたお方をただ信じることです。信頼は相手を最高に栄光化するのです。信頼とはその相手との関係において養われるのです。私たちが持っている父は、天地を造られた神です。その方にできないことがあるはずがありません。私たちの健やかさを願うのが父なる神です。ダニエルに対する王の配慮はちょうど天の父の心を現し、同時にとりなしをする祭司キリストの心を現していると言えます。私たちがいかなる試みに会うとしても、私たちは放置されているのではなく、こういう顧みと保護と祈りの中に置かれているのです。私たちは三位一体の神の善意の中に永遠に置かれているのです。サタンはその悪意と手法を持って私たちに関わってきますが、彼の業は三位一体の神によって封じられるのです。鍵は私たちが神を信じる・信頼することです。こうしてついに王はダニエルの神を認め、崇め、賛美するに至るのです。私たちの出会う試練はすべて神の善意の中に包まれているのです。死のトゲはすでに抜かれました。大いに主の中に憩いましょう。