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サンダーシングの霊性

愛知県のさっちゃんが同氏のことばを紹介してくださってからちょっと関心を持っていますが、何と救世軍の山谷少佐のサイトでも紹介されておりました。

インドの聖者サドゥー・サンダー・シング師

ちょっと引用させていただきますと:

熱心なシーク教徒であったシング師は、聖書を破り捨てるほどキリスト教が嫌いでしたが、ある日、復活のイエスと直接会う、という神秘体験をして全く回心し、イエスを心から愛し、身を献げ、イエスに仕える者に変えられました。

インドを愛したシング師は、西欧流のキリスト教ではなく、東洋の霊性に通じるイエスを再発見し、自分の生活と伝道のスタイルに、インドの行者サドゥーの形式を採り入れました。

イエスの福音を携えてインドとネパールを巡回するうち、シング師は「インドの隠れたクリスチャンの兄弟団─サニヤシン・ミッション」と遭遇します。彼らは、使徒トマスのインド伝道によって土台を据えられ、宣教師ウイリアム・ケアリーの活動によってリバイバルを経験し、以来、インドに土着した秘密キリスト教団として活動していたのでした。彼らは高位のバラモン僧や知識人に接近し、救い主イエスを紹介して、ひそかな改宗者を獲得していました。

シング師はさらに導かれてヒマラヤ山中に入り、チベット仏教の寺院の中で、イエスの福音を記した巻物を発見します。古代のネストリウス派宣教師たちが、千数百年も前にすでにチベットで福音を宣べ伝えていた痕跡を発見したのです。

そしてついに、ヒマラヤのとある洞穴で、シング師は、クリスチャンの行者に出会います。中近東出身のこの行者は主の召しを受け、世界の屋根である最高峰に登って、全人類の救いを求めて執り成すよう命じられ、長い年月を洞穴にこもって祈り続けて来たのでした。年齢百数十歳を超える行者は、東洋においてひそかに進行しているイエスの救いの計画について、シング師に光を与えたのでした。

シング師は西欧諸国の教会から招待され、教会指導者やメディアにインドにおけるイエスの救いを明らかにすると共に、ケズイック集会などで講演しました。その著作は、今日もCLCなどの福音主義系出版社から刊行され、世界のクリスチャンたちに光を提供しています。

西洋キリスト教ではなく、東洋的な霊性をキリストに見出したというあたりは、ウォッチマン・ニーとも通じる感じがしますし、私的には大いに惹かれるところです。さっちゃんも紹介記事を書いてくださっていますし、ちょっと楽しみです。

Comment

Isaiah Ben Hur

サンダーシングのご紹介ありがとうございます。西洋キリスト教のある意味での形式主義、拝知主義、議論性向はまさに善悪の木の実であると感じます。ちなみに再建主義の富井さんがついに

http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbsss/wwwboard.cgi
前千年王国説(プレ・ミレ)は、悪魔礼拝です。
礼拝とは単に「拝む行為」だけではなく、「主権を認める」ことを意味します。
旧約聖書において、神は形式的な礼拝は礼拝ではない。心が伴わなければ意味がないと言っています。
心が伴うとはどういう状態かと言えば、「心を尽くして神を愛する」ことであり、「神の命令を守る」ことです。
命令遵守には御言葉を信じることも含まれます。
プレ・ミレは、御言葉を信じないので、偶像礼拝です。

と言い出していますね。プレミレの私も悪魔礼拝者となるようです。何が彼をしてここまで追い詰めるのでしょうか?Lukeさんの分析を待ちます。

  • 2008/01/14 13:22
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