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「囲い」の呪縛を出でよ

今朝はやや湿度が高く、やや気持ちイイとは言えない走りでした。

さて、最近のニッポンキリスト教ではカルト監視組織を立ち上げるとか(すでに私も会員である日本脱カルト協会が機能しています)、悪徳代官ならぬ悪徳牧師を断罪して、見せしめにし、はては「潰す」といった物騒にして怖い霊が蔓延しつつあるようです。この手の話題はなぜかヒステリー的な反応を生みますし、また絡まれると怖いので、一言だけ書いておきましょう。(注:私は悪徳牧師らを擁護しているわけではないですから、念のため。彼らに対する姿勢と対応を問題にしているわけです。)

昨日の矢野さんの本の最後で彼は言っています:

公明党は結党当初の精神に立ち返ってほしい。創価学会も池田氏も、あの頃、われわれが目指していたのは何だったか思い返して欲しい。創価学会が設立当初の原点の精神に戻れば、創価学会は再び輝かしい歴史を刻むことができる。公明党は弱者、大衆の党として蘇生する。一般社会からも喜んで迎えられ、大きな清流となることができる。

これを読んでどうお感じになるだろう。創価学会の中でカルト化を監視し、誤りに陥った教義や実行を改めて、設立当初の純粋な学会として再生しようと言うわけだ。どこかで聞いたことのあるアジテーションではないでしょうか。しかし、矢野さんは大変だなあ、創価なんて出てしまえばいいのに、そもそもが×××なんだから・・・と思うのが一般の人でしょう。所詮コップの中の嵐だと。

これと同じことなのです。ニッポンキリスト教界の状況は。「ニッポンキリスト教」と言う用語を提案したのは明治学院の宗教学者鹿嶋春平太氏ですが、彼は「ニッポンキリスト教は当初から闇の中だ」と喝破しておられます。問題はそのニッポンキリスト教という宗教組織の中に、きわめてデリケートないのちをもつエクレシアが幽閉され拘束されていること。ニッポンキリスト教はすでに(と言うか、元から)致命的な全身病に罹っており、その病状は私が前々から言っているとおり、悪化の一途を辿っています。全身病に罹っている人に対症療法をすることは実にナンセンス。その中に拘束されている健康なエクレシアの細胞を別の(と言うより真の)培地であるキリストご自身の中に移し変えてあげることがこの場合のもっとも有効な療法なのです。

お分かりいただけるでしょうか?私が「ニッポンキリスト教をエクソダスせよ」と何度も繰り返している理由。さもないと全身病に罹っているニッポンキリスト教の毒素がいずれ自分にも回ってくることは確実なのです。箱の中の100個のミカンのうち1,2個が腐るだけなら、それら監視して、取り除いて、潰してしまえばよろしい。しかしそれとても健康なミカンを潰す危険性もあります。だから主は「毒麦はそのままにしておけ」と言われました。それを選り分けるのは神の主権なのです。しかし、逆の場合は、犯されていない少数のミカンを取り分けるしか手はないことは自明でしょう。

当時、主イエスは「わたしはこの囲いの中にない羊をも導かねばならない」と言われました。当時にあってはその「囲い」はユダヤ教だったのですが、今日、この「囲い」とはニッポンキリスト教なのです。当時のユダヤ人たちはその囲いの中で、パイサリ派、サドカイ派、エッセネ派などに別れて喧々諤々でした。しかし主イエスはその囲いそのものを改革したり、改善したりはしませんでした。そこからご自分の羊をご自身の元に集めようとされたのです。

今日も同じです。その「囲い」の中に留まりたい者は留まればよろしい。自分こそが正統、自分の教義こそ絶対的聖書の啓示、自分は最も霊的・・・と主張しつつ、互いに異端と断罪合いながら。しかし主イエスはこう言われるのです:

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。

「囲い」からエクソダスし、ただまことの豊かな牧草地である主の身元に召された者は幸いです。クリスチャン生活とは、つねにキリストご自身へと、まとわりつくものからの脱皮を繰り返して成長するのです。それはただ自分を否むこと、十字架の切り分けによるのです。

Comment

細木

思想、信条の自由が有りますから、カルト監視機構なんか作っても、だから何?という感じがします。やるなら違う角度からの取り組みが良いと思います。その点、日本脱カルト協会の方が的を射ていると感じます。

囲いと関係無くてすみません。

  • 2009/06/10 10:23
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ISAIAH BEN HUR

最近の殺気立って殺伐とした雰囲気は、単なる因縁による肉の応酬に見えますね。裏が暗いほど、表ではLukeさんの言われる"虚飾の宴"を大々的に執り行うわけでしょう。松本清張にぜひ書いて欲しいと私も思います。

  • 2009/06/10 10:51
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Luke

>細木さま
そうですね、信仰の本質を履き違えた対応をしていると言わざるを得ませんね。

>Isaiahさま
肉に対して肉をもって応酬するニッポンキリスト教の現状。修羅場はこれからが本番でしょう。

  • 2009/06/10 20:02
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