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Dr.Lukeの一言映画評

本日もラジオ体操が気持ちイイ。本日の予定(日記に予定を書くかあ〜?)は、午前中野外プール。午後は映画。マイケル・ムーアの『シッコ』。感想は後ほど・・・。

アップロードファイル 20KBと言うわけで、また肉が食いたくなって、シャブシャブの食べ放題でランチ。そして映画と。"シッコ(SICKO)"とはスラングで"ビョウキor倒錯者"の意味。私がよく使う用語ですね^^。世界一リッチにして強い国アメリカの医療がいかに悲惨を極めているかをレポート。ムーアの切り口らしいが、ややシリアス調。

医療保険会社の許可がないと医療を受けられず、また医療費を払えない人は病院から文字通り捨てられる。対してフランスやイギリスの皆保険制度がどれだけ恵まれているかを比較。また9・11事件で救護作業をした結果、肺などを病むに至るも、国家からの補償を受けられない消防士たちを紹介。牢獄にいるアルカイダの犯人たちの方が手厚い医療を受けているのだ。ついに、皮肉まじりに、ムーアは彼らをアメリカの仮想敵国キューバに連れて行き、そこでの実に立派な治療風景を描く。確かにキューバにこれほどの医療レベルが確立しているとはやや驚きましたが・・・。

日本も一応皆保険だが、現在は3割負担。また長期入院は避ける方向にある。リハ科などは大変なのだ。私はかつて年間55万円の国保の満額を10年以上収めた実績があるが、私自身は医者にかかったことがまったくなかった。この500万以上の金は果たして何処へ消えたのか(現在ニッポンの医療費は確か40兆くらいだったかな?)ところがこの2月に入院しオペを受けた際、治療費総額55万円ほど。自己負担17万円ほど。ところが共済から高額医療費補助ですべて補填され、さらに個人で医療保険に入っていたので、17万円が給付(請求の際何も文句をつけられませんでしたね)。つまり黒字だったのだ♪これでかつての500万円の一部を回収できたかと(9月の温泉代)・・・涙。

しかしわがニッポンも無保険者やインターネットカフェ・ホームレスなどが増加している。これらの社会から落ちた人々が日本の根幹を壊しつつあるのだ。以前のニッポンは世界で最も成功した「社会主義国家」と言われていたが、アメリカ型グローバルスタンダードに侵食され、それに適応できない人々が落ちている。都内でも年収500万円に届かない層が50%を超えた事は前に紹介した(→記事)。この世は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」で構成されている。自然格差は生じて当たり前であり、それを低い方へならそうとする力が現在のニッポンには働いている。シッコな人々がネットでその病理性を発散させ、マスコミも庶民の嫉妬や妬みに組する報道をなし、互いに足を引っ張り合ってフラット化しつつある(→記事)。嫉妬や妬みは社会の癌である。まさに悪平等。

しかし今後ニッポンが生き残るためには、前から指摘しているとおり、20%のエリートを作ること。そして実績に応じてあらゆる面で厚遇すること。アメリカン・ドリームではなく、ジャパン・ドリームを与える必要がある。ちょうどかつての旧制高校のようなシステムである。残りの有象無象はその20%の人々にぶる下がることによって生存は担保されるであろう。これを「2:8の法則(パレートの法則)」と言い、あらゆる事象において適応される。これを人為的に均したらまさにアメリカ人が強迫神経症的に恐れる社会主義国家と成り果てる。

能力の差、また結果の格差はあって当たり前。プラス、努力の成果を享受する事は当然のこと。頑張った連中がクズみたいな連中と同じ境遇であれば、どうして社会が成り立ち得よう。この意味でニッポンキリスト教がシッコ状態にあるのは、ある意味当然なのだ。ビョウキの人々が跋扈し、経済は「花見酒の経済」、まさに縮小均衡、神の名を借りた社会主義そのものだ。よってニッポンキリスト教はますます下り坂を転げ落ちるでしょう。聖書の原則は「持っている者はますます豊かに・・・」である。

が、そうは言っても、アメリカの医療の現状は、経済原理がすべてとなり、これもまたシッコではある。私はかつてLAのビバリーヒルズのクリニックでメディカル・トリートメントを受けたことがあるのだが、ご存知のとおり向こうでは建物内で靴を履いたままである。ところがトリートメント・ルームに入るときには土足厳禁。私は靴を脱ごうとしたのたのだが、何と彼らは靴の上にビニールのキャップをつけるのだ!?う〜ん、これがアメリカの本質かも知れない。

帰って、近くのスーパー銭湯にて種々の風呂を楽しみつつ(電気風呂は筋肉に実にスゴイ刺激となりました)、汗を流す。で、ジョッギング。またまた家風呂に入って、今ビールでホッとしているわけです。

 * * *

筋トレをしているとボディコンになるのですね。バスの鏡に全身を映して、ついポージングをしたりで、ややけっこうナルチシズムが疼くわけ^^。しかし最近の精神分析理論でもコフートなどは「自己愛の積極的受容」を唱えており、自己愛がポジティヴな形で表現される場合、建設的な結果を生み出すのだ。

霊的に言えば、主は「自分を愛するように、他人を愛せ」と言われたとおり、自分を真の意味で愛する事ができない人々は他者をも愛する事ができない。病んだ人々は、(朝青龍のように)自分の病気を他者の責任に転嫁したり、人を羨んだり妬んだり、さらには粘着してそのネガティヴなエネルギーを発散するのだが、それをすればするほどに実は自分を傷つけ、貶めているのだ。自己憐憫により、自らを"病み(闇)"に幽閉し、ますますネガティヴなパワーを内に蓄える。しかしこれは明確に語っておくが、彼らは他者を攻撃しているようであるが、実は自分を自分で滅ぼすのだ。

真に自分を愛すること―そのためには一度十字架の死と復活を経る必要があるのだ。クリスチャンたちが十字架を経た健全な自己愛を養う必要があるだろう。

ゴーン氏の挫折

『文藝春秋七月号』にある記事。ニッサンのカルロス・ゴーン氏の改革が挫折しているとのこと。下の記事と関係するが、要するにコミットメントと称する収益目標の達成をすべての物差しとした結果、生産ラインでの人間関係が壊れてしまい、中には生産中の車を蹴飛ばしたり、ペンキで落書きをするケースもあるらしい。

昔は高卒レベルの職工を、現場の監督が公私にわたりメンドウを見て、10年がかりで育てたのだが、今はそれがない。寅さんの義弟のヒロシをメンドウ見たタコ社長のような存在である。かくしてニッサンは一時はV字回復したものの、その後は低迷。ゴーン氏の手法は日本では無理があることを露呈した。

私は前から、日本人はアメリカ型新自由主義的な会社経営には耐えられないと指摘しているが、ニッサンの事例で十分であろう。昔は藩(これは実は江戸時代にはなかった称号だそうだ)のお抱えになり、現代は会社のお抱えになることによって、アイデンティティを得ていたからだ。

そもそも個がない日本人にとって、そのフレームを失うことは自分を失うことである。その意味で終身雇用制度は日本には不可欠なのだ。ただし、年功序列は不要だろう。人間関係の中から物を生み出すのが日本人である。人間関係が切れた会社は日本では結局成立し得ないのだ。日本人よ、グローバルスタンダードなるアメリカの独善に騙されるのはもう十分だろう、と私は言いたい。

フランスよ、お前もか

これまで社会主義傾向が強く、ブッシュのイラク戦に対しても意義を唱えてきたフランスで新しい大統領が決定。サルコジ氏。アメリカ型自由競争社会の実現を目指すとのこと。経済の沈滞ムードを打開したいフランス国民の希望を託されたのか。

すべての尺度が金(マネー)である世界。黙示録のバビロンには宗教的側面と経済的側面があるが、アメリカから諸々の霊的流行が現れては消え、ベニー・ヒンなどが汚れた霊を撒き散らしているし、経済もアメリカ型がグローバルスタンダードと化している。

このバビロンでは人の魂すら商売の対象となるのだ。現ニッポンはそれに対抗することもできない人々が、その無力感の中でニートやフリーターとなり、ネットカフェで暮らす状況。人の価値がすべて経済的価値に置き換えられているわけで、バビロン化のひとつの兆候である。そしてついには社会もスラム化することだろう。

本日のニ冊

さあて、花の金曜日です・・・。いつもどおり、iTumesから流れるJazzで過ごしております。

アップロードファイル 4KB陰謀論の罠』―ここでも9.11テロについては何度も触れているが、アメリカの自作自演によるヤラセとの説を徹底的に否定する。著者自身が"最強のオタク"を誇っているため、オタク文化のプライドにかけているようだ。9.11ばかりではなく、真珠湾攻撃やトンキン事件についても触れている。陰謀論の魅力は世界の事象を統一的に説明できる点で、歴史の究極的メタ言語であるわけだ。一方で陰謀論に組することは知性の放棄であり、その究極が妄想であるとなるわけだが、私的に診て面白いのは、陰謀論に組する側も、否定する側も、同じような要因を持っていること。ある種の精神的傾向の裏表として現れるようだ。

アップロードファイル 5KB新たな黄金時代』―ここでも過去に紹介したラビ・バトラの新著。彼は日本のバブル崩壊も警告し、さらに2000年までに共産主義の、2010年までに資本主義の終焉を予言し、次に来る社会をPROUT社会としている。現在のアメリカ主導の"グローバルスタンダード"に基づく資本主義の極みで二分化社会となり、地元の商店街がシャッター街と化し、郊外にはアメリカ型大スーパマーケットが乱立している。人が資本のシステムによって消耗品となる中で毎年3万人以上が自殺し、それにアンチテーゼを提示することもできない無力感の中で、ニートだフリーターが400万に達する今のニッポン。アメリカの住宅と石油バブルと中国の投資バブルが破れる時、次の時代を迎えることになると予言する。バトラ博士は人を活用することが鍵であると主張される。

Re:気になる本

バトラ氏の予言する「資本主義」の崩壊とは、アメリカ型の弱肉強食型の経済社会のこと。資本主義そのものではなく、アメリカ型のソレである。ホリエモンや村上氏の手法が象徴する。彼の言う経済民主主義とは60年代から70年代の日本型の会社組織による経済運営とほぼ同じ。要するに会社は株主のものではなく、従業員のものであると。会社は人生の舞台であり、その人の人格の一部であると。個人が会社のコマになるのではなく、会社が個人のためにあるわけ(「燃ゆるとき」→http://www.kingdomfellowship.com/cgi-bin/blog/index.cgi?no=1424)。アングロサクソンの弱肉強食の価値観=グローバルスタンダード=がいかに人々を傷つけたかは、すでに8年連続で自殺者数が30,000人以上を記録し、一方で特殊合計出生数が1.25に端的に現れている。商店街はさびれ、車で行ける郊外の大チェーン店は流行る。かくして駄菓子屋的人情商売は消え去った。元々日本人の神経はそれに堪え切れないのだ(「最近の日本に思う」→http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing1.html)。バトラ氏は人を主体とした経済の運営の根幹をPROUT(Progressive Utilization Theory:進歩的活用理論)としている。勝ち組・負け組みの二分化ではなく、全体が潤うような資源活用のことであり、それは倫理あるいは徳による経済運営である。ある面で東洋的であり、しっとりとしている。現実経済としては現在の原油バブルとアメリカの住宅バブルが崩壊するとき、全世界は大恐慌を迎えるであろうと。日本はすでに1千兆の借金を抱え、日本の国債はすでに海外投資家からは見限られているとのこと(格付けはボツワナ国債以下!)。今景気が回復基調にあると言われているが、これで量的緩和策を解除したわけだが、これがために長期金利が急速に上昇。これが日本の致命傷となると予言している・・・。これから先はそれぞれでお読みいただきたい。

見てきました、靖国神社

いやあ〜、スゴイですね、やっぱり。外目には神社自体は他の神社と同じです。境内の雰囲気は、私は、実はけっこう好きなんですね。ヨーロッパのいわゆる教会のカセドラルはやたらと高さを競うわけで、装飾もやたらとキラビヤカで、何となく落ち着きません。エルサレムの聖墳墓教会などはちょっと不気味でしたしね。そこいくと神社は建物が低い。装飾も地味で、独特の落ち着きがある。聖霊派の人たちに言わせると悪霊がウジャウジャいるようですが・・・(笑)

面白いのは神社主催で「つのだ☆ひろコンサート」をするんだとか。「メリージェーン〜」とやるのかしらん?ところが「遊就館」に入ってビックリ。まず入り口にはゼロ戦と汽車のC56。本物のゼロ戦を見て、私の心は一挙に童心に帰り、一言、「スゲェ〜」。
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