* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
どうもここで「ローカルチャーチ情報サイト」の公開をアナウンスしてから、2ちゃんねるでの工作が活発になっているようです。そんなに公開されるとまずい情報を私が持っているわけでしょうか(苦笑)。
ご参考までに2ちゃんねるという場でどのような工作手法がなされるか、ちょっと紹介しておきましょう。工作と言うにはあまりにも幼稚なので、私としてはこれらはローカルチャーチのメンバーではないと希望的に思っているのですが。どうも数名、私に粘着したいネズミさんがいるようです。もしこれがローカルチャーチのメンバーによるものでしたら、彼らの病状はかなり悪化していると診るべきでしょう。いずれにしろ倒錯した場ですが、一般常識的にはどう判断されるでしょうか。
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山小屋から帰りました。時間の流れが違います。
今回の交わりのテーマは一点基督にして固定化しないこと。たえず流れていること。時空間を超えた神(ある)を、私たちの言葉の中に固定化することは実に愚かなこと。集会のあり方も、今のようにワーシップの後、メッセージ、ワーシップ、交わり、終わり。といった固定化が儀式化へ、さらにキリストの「抜け柄」だけを守るあり方に堕する危険性が常にある。安定したい、パタンを守りたい、ここに集っていれば安心・・・。これらは人間の本性的欲求であり、水戸黄門があれだけ長く好視聴率を保つ理由である。
ちなみに英国のThe Way of the Spiritの事務局のあるNorwichでは、いわゆる主日礼拝を一切しない。日曜日の何時に礼拝に集まるといった形を取っていない。日常の生活の中で、生活を共有する兄弟姉妹が、随意集まり、いつでもどこでも交わり(コイノニア)ができる。未信者も、メッセージの中ではなく、その交わりの中で実際的に主を知る。その日常生活の中で互いの知り得たキリストを交換し、いのちの流れに与る。
誰かのメッセージを期待して集まり、満足させてもらう、恵みをいただく、潤してもらうといった、もらいたいクリスチャンがほとんどの日本でも、私たち自身、これは主の前に問いたいと思う。「もらいたい」から「注ぎ出す/与える/差し上げる」歩みへ成長することができれば、私たちにも存在意義がある。
今のKFCについても前から言っているとおり、ここから脱皮できなれば、私は直ちにたたむつもりであるし(私自身は常に引退の日を夢見ているわけで・・・)、今、主からこのことが問われている。この業界には気持ち良くしてくれて満足させてくれる先生は山ほどいらっしゃる。しかし真の豊かさは与えることにある。この意味でウォッチマン・ニーに神学注解書を書くことを主が許さず、むしろ自分を注ぎ出す運命へと導かれたことは、実に深い主の配剤的摂理である。その生と死が永遠の福音の実際的包括的メッセージなのだ。
・およそ病とは、心のとどまるをいふなり―柳生但馬守『活人剣』
・仏法にては、この止まりて物に心の残ることを嫌い申し候。故に止まるを煩悩と申し候―沢庵『不動智神妙録』
・流水腐らず―中国故事
禅ではその奥義は
無所住心
且つ我等基督者に於いては
基督在心
参考:意識の扱い方について
おっしゃる通りです。
場合によっては、ある一言が致命的なことになることもあるんですよ。結構気配りの必要な仕事なんです。
丁度今、貴兄のライブメッセージ拝聴致しました。私のブログを取り上げて頂き、感謝申し上げます。
温泉旅行、ゆっくり楽しんで来て下さい。
貴兄のライブメッセージ、毎週楽しく拝聴しております。感謝です。
今回当ブログで提示した内容に関して、ご報告しておきます。
まず、ヘーメラ(日)を「属格」と勘違し訳出しました。ここにお詫びと訂正をさせて頂きます。ご指摘の通り、英訳すると「in the last day」となります。本日訂正文を提示しましたが、内容的に大きな変更はありません。
さて、舞台裏を明かせば、ある「意図」を持ってこの論考を提示しました。その意図を明かすと、誹謗中傷になりかねませんので、それ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。
私としては、そのような解釈の仕方もあり更なる検討の余地がある、とだけコメントするに留めて置きます。
キリスト者なら、死後私たちがどうなるのか、全てに比して最も興味ある点だろう思います。しかし、聖書に書かれている事柄の多くが「隠されている」からこそ、逆に堅い信仰に立つ必要があるのだろうと思います。言い換えると、神学とか聖書研究とかによって、「全て」を明らかにすることは不可能なのだろうと思います。ただ主に拠り頼め、でしょう。
中国大陸におけるウォッチマン・ニーの「小さな群れ」の同労者であったStephen Kaung氏のメッセージをemiさんが翻訳して下さっています(→@、A)。自称唯一のニーの後継者ウイットネス・リーの指導を巡って50年代に分裂して以来、Kaung兄弟らはあまり表には立たず、Christian Fellowship Publishersの形でニーのメッセージを英訳して紹介してきました。現在は80年代後半にリーから離れたJohn Ingallusらとミニストリーを継続し、不定期刊Rivers Magazine誌を発行しています。同誌はひじょうに硬質な真理を説いておりますが、大いに啓発を受けることができます。同誌の記事です。
こちらからStephen KaungらのメッセージのCDやDVDが入手できるようですね。
・Christian Tape Ministry→http://www.christiantapeministry.com/
Sola Gratia氏の匿名Blogによりますと、CCK-Jの決議文は山谷少佐が勝手に捏造したものであるとのCCK-J側からの公式文書が来ているとのことです。本件につきましては、少佐がご自身のBlogにて説明責任を果たしておられますが、韓国CTからの圧力を受けて苦境に立たされているCCK-Jに配慮した声明文を、私は深い感動を持って拝読致しました。この経緯につきましては私は当初より知っており、また私の元にもCCK-Jによる声明文が保存されており、少佐が書いておられるとおりであることを主の前で証言することができます。もちろん客観的証拠も保存されております。本件においてもCTの本質を知ることができるものと思います。