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覚悟はできていますか?

東京都教育委員会が、君が代と国旗に対する扱いについてかなり厳格な勧告をなし、それに従わない教職員は「処分もありうる」ではなく、「処分する」となった。

この調子だと、おそらく単なるシンボルにとどまらず、礼拝対象としての「日の丸」にまで至るであろう。またまたニッポンキリスト教の左翼系の人々が人権や信仰の自由を盾に騒ぎ出すことであろう。

しかし主は、先にも書いたし、メッセージでも語ったが、現在静かにこう語っておられる、「あなたは誰につくのか。わたしにか。では十字架の覚悟があるのか?」と。

霊的な代理権威

今年のFaithキャンプのジョン・ビヴェアのメッセージに、「地上における神の代理権威に服することが重要である」とあるが、これについて質問をいただいた。ある種の牧師はこれを盾に自分の独裁体制を作る傾向があるらしい。

私たちの信仰生活で、国家をはじめ、親や上司、夫婦や兄弟関係において代理権威に服することは、油の滴りを受け祝福を得るために重要である。しかし大切なのは、どの代理権威に服するか、自分で選ぶことができなかったらならば、これはカルトの支配構造となる。

私が現在英国のコリン・アーカートに服しているのは、隷従しているわけでもなく、自ら選んで服している。彼の上にある霊的な権威を認めているからである。つまり主の権威のありかを見ているからである。ダビデもサウルにそれを認めていたから、自分を殺そうとするサウルに自ら手を下すことがなかった。それぞれが自ら選びとってしかるべき権威に服すること無しにはクリスチャンは糸の切れたタコとなる。

私と共にセレブレーションに与る人もいれば、自ら離れる人もいる。私は来る者は拒まずであるが、去る者は追わずである。服することも主の権威を認め、自らの自由意志で選び取った結果であり、そのためには先にも書いたが神の前にまず自分が単独者として立っている必要がある。きわめて単純である。

ニッポンキリスト教の問題は、個人が神の前で確立しておらず、自分で立つことなく、盲従的に、あなた任せにし、自分の甘えが満たされている間はニコニコ、しかしいったん甘えが裏切られるとプッツンする。牧師を選ぶのも、医師を選ぶのも自己責任で主体的にしてほしいものだ。要するに大人になることである。

サーバがおかしい・・・・

日曜日夜に突如@kingdomfellowship.comドメインのメールサーバがおかしなメッセージを出し、メールの送受信ができなくなりました。かと思うと、アクセスログが真っ白になったり、BBSにカキコしようとしたところ、ログが全部飛んでしまいました。せっかくのカキコを飛ばしてしまってすみません。「げすとぶっく」とこのページには手をつけませんでしたので、ログが助かっています。何が起きたのだろうか?

急遽、再びサーバを私のPC内に立ち上げて、今そこから発信しています。ですから、みなさんは私のPC内を覗いている(ウン、言い方がアブナイ?)わけです(笑)。cgiは何とか復旧しましたので、次はメールサーバの立ち上げです。もしオンライン注文をされた方や、メールを下さった方がおられましたら、再度お願い致します。

教会の方ではバプテスマを受ける方が続き、また主にある新しい家庭が誕生することになった。次回のセレブレーションで婚約式を行なう予定。小生もちょっと結婚の時の写真を引っ張り出したところ、いやはや、若い!20年前だからなあ〜、と家内としみじみ・・・、「思えば遠くへ来たもんだ」とちょっと感傷的にため息でした。

ライブ・メッセージの公開

主日のセレブレーションの私のメッセージを公開することにしました。これまで御希望が寄せられてきていたのですが、つい手間を惜しんでおりました。まだ実験的ですので、音質などに難がありますが、御了承下さいませ。Media Playerがあれば、ストリーム形式で聴取いただけます。