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精神のアイドリング

「徒然」にも書いたことがあるが、霊的領域では受動性に陥ることは危険性が高い。多くの「明け渡した」クリスチャンたちや「御霊の声」を聞くカリスマ系の人たちが、この罠に落ちている。

最近でもある教会のカルト化がネットのあちこちで話題となっている。この教会もいわゆる「預言」なるものが売りであるが、メッセージを聞いてみるとやたらと「・・・と主は言われます」が耳につく。御言葉から離れた「預言」やイエスから切り離された御霊の「臨在」はきわめて危険である。BBSにも書いたが、KFCは聖霊派(ペンテコステ・カリスマ・第三の波など)とは何らの関わりがない。私は数年前まで福音派とか聖霊派とかの定義や日本の実情はほとんど知らなかった。(まああまり知らないほうがよいかも・・・汗)

しかし、私は精神を安全な領域であえてアイドリングしてリラックスをはかっている。映画鑑賞や、Mr.マリックの超魔術や(今日もSPをやっていました)、口上売りや、さらに温泉やドライブなど。江ノ島の海をぼお〜と見るのも好きだ。UFO番組やネッシーの話なども大好きである。最近ではNASAは本当に月に行っているのか、といったテーマも興味がある。

かくしてあえて騙されることにより、精神の緊張が解かれる。精神は絶えず張り詰めてもだめ、絶えず弛緩していてもだめ。弛緩と緊張、緊張と弛緩がリズム良く繰り返すこと、これが精神衛生の鍵である。

しかし昨年の結婚式でMr.マルークの「チョット魔術」はけっこう受けたので、見るばかりでなく、やる方の快感も知ってしまいました。ちょっとはまりそうな気配です。

  *  *  *  *

BBSでも度々カキコして下さっている、辛口な「地の塩ミニストリー」(http://www5.ocn.ne.jp/~ikemoto7/)のSaltさんが日記を御披露するようになりました。彼は詩人でもあり、ギターの弾き語りもこなし、作詞作曲もできるというマルチな人で、大変面白い視点で物を書いています。御紹介します:

"seasoned with Salt"
http://app.memorize.ne.jp/diary/24/57910/

訂正:「武士道」を書いたのは新渡戸稲造でしたね。

Dr.ルークに会ってみると

私は書いた物で判断すると、重々しく何やらエラソウなイメージがあるらしいですが、会って見るとライトな感覚で、イメージとずいぶん異なるらしい。昨年暮れにもそう言われました。

インターネットで検索してみると、本もやたらと難しいとかで、そんな悲鳴を上げている人もいるそうですが、ビデオは分かり易いと好評です。

パウロは言っております:

人は言う、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」。

彼も書き物のイメージと本人が相当に違っていたようですが、私の話は楽しいです^ ^。ここのメッセージを聞いていただければ明らかですが、笑いが絶えず起きています。油塗りがあることはエンジョイがあることです。しかし真理はズバリ語っております。

というわけで、バイブル・カレッジのテープは一般にお分けして好評をいただいており注文が途切れないのですが、これまで一部の方々にだけお分けしていたセレブレーションのテープ(2時間)の領布も開始しました。

メッセージ部分だけではなく、セレブレーションの流れが分かります。最近は私のMSGは1時間に収め(昔は2時間しゃべっていましたが)、全体の1/3程度なんですね。実は2/3が大切なのです。

私の内なる財前五郎

田宮二郎版『白い巨塔』は全部を録画しているほどのファンである私ですが、昨日のメッセージでも語ったが、私の内には財前五郎がいるからなんですね。

ついに財前に致命傷を与える佐々木さんが登場し、「自分はこんなとこで検査など受ける時間なんかない!」と駄々をこねるわけ。この様を見て、財前は「私はあなたを診療する義務もないのだから、自分できめなさい。」と一蹴する。

実はこの台詞は、「あなたは私に何を期待して電話してきたのですか」と言う問いかけと共に、私もよく用いている。私はいわゆる悩んでいる人、苦しんでいる人がすねたり、甘えの満たしを求めたり、ダダをこねたりする場合、まず相手にしない。私には彼らのご機嫌をよくするためになだめる時間はない。

私の内には確かに財前五郎が住んでいる。まずは自分の利益のみを考え、他人を蹴落としても上に行きたいというエゴの塊。ヤコブそのものである。財前は里見のあり方に対して、「里見は偽善だよ。ああいったヤツが本当に存在しては困るのだ」とささやくが、私も同じように感じている。人の本質は徹底して罪であることを私は前提として人間関係を得る。よって「愛の手で世界を結ぼう」と言ったきわめて臭いニッポンキリスト教的台詞には辟易する次第。これはまず嘘。

こう書くとある種の人々は「Dr.ルークは愛の欠如した、心の貧しい者で、憐れみを覚える」と言われることはすでに何度も経験した。そしてその通りである。しかし罪は赦されたので、今度は罪を犯さないようにガムバッテ、善人として生きようと努めるクリスチャンの多いこと多いこと。かくして真実な人はクルシ(苦し)チャンとなるが、取り繕いをし続けることができる人は、リッパなキリスト教徒として、良き社会人として、良き日本人としてニッポンキリスト教の中でそれなりの地位を占める。

世の中、否、教界にあっても、どこに真実があり、何がハリボテでであるか。いずれ主の前に立つときに明らかになる。今のニッポンキリスト教では真に十字架がなくてもやっていける「優等生クリ」が多すぎますね。かくして、一定のパタンにはまり、一定の活動と発言をソツなくこなすだけのコスプレ集団と化してしまうわけ。ハッキリ言って、今の教界のあり方は相当に気味が悪いですよ、そう感じませんか?

医局と教会

今日の「白い巨塔」の東教授は凄かったですね。去るべき者が自分の育てた者に追われることの嫉妬と屈辱感を石坂さんは熱演していました。人の上に立ちたがる人の精神病理はパラノイドです。サウルの病理ですね。

やっぱり医局と教会はきわめてよく似ています。主任牧師が教授、副牧師が助教授。しばしば副牧師のメッセージの方が信徒の評判がよくなると、主任牧師は心穏やかではなくなるわけです。ある大きな教会でもこうして主任牧師の嫉妬を買って、何人もの有能な方々が追い出されているようですから(汗)。

何々系列とか―これをジッツと言いますが、今の医局は人材派遣業になっているのですね。北海道大学の名義貸しも問題になっていますが。それと領収書の不要な裏金です。教会も同じ。アイツは俺の弟子だとか、自分は○○センセイから按手や個人預言を受けているとか・・・。これが勲章になるんですね。

医局と教会―きわめてニッポン的な、あまりにニッポン的な・・・

太平洋戦争開戦の真実

今日のNHKの「その時、歴史が動いた」において、日本がパールハーバーに奇襲攻撃をかける前の外交戦について、新しく発見された資料に基づいて分析されていた。

これによると、アメリカは対日石油輸出を止めたが、日本は東郷大使の妥協案として、南方から手を引くことと中国戦には干渉しないこと、そして石油を売ることを条件とする案をハルに提出していた。

ハルも日本の暗号を解読してその内容を知っていたが、ほぼそれと同じ案を出していた、が、それを知った中国の蒋介石はアメリカが中国を見捨てるとして、イギリスのチャーチルに圧力を加えて、ハルがその案を提出することを阻止した。

驚いたのは、当時日本もアメリカや中国の暗号を解読しており、ハルの妥協案を東郷は知っており、それを表に出せば戦争を回避できることを期待していた。しかしイギリスと中国の裏工作により、ハルはそれを破棄し、いわゆるハルノートを提出した。

かくして開戦の火蓋が期って落とされたわけである。東郷はハルの回答に失望落胆し、もう仕事に対する熱を失ったと書いている。

また今月の「文藝春秋」によると、野村大使が宣戦布告の知らせをハルに提出するのが、パールハーバー攻撃より遅くなったことについて、野村大使らがある外務官僚の葬儀に出席しており、その牧師のメッセージが長くなり、間に合わなかったとレポートしている。

つまりパールハーバーは卑怯な奇襲ではなかったわけである。ルーズベルトはパールハーバー作戦も知っており、ハワイには太平洋艦隊の主要艦船は配備されていたものの、空母が一隻も配置されておらず、かえって「リメンバー・パールハーバー」でアメリカ国内の世論を戦争の方向へとまとめたという説もある。

今回のイラク戦においても、かつてのクルド人に対する姿勢においても、アメリカのご都合主義、シカケにより敵国攻撃の世論を固めて軍事力に物言わすというパタンがつねにあるような気がしてならない。それに対してハッキリと物の言えぬニッポンが何ともやり切れないと思うのは私だけであろうか?

アイデンティティと身の置き所

さっき校長の自殺の件を書いたが、この人も物が見えてしまったのだろうと思う。吉田兼好は「徒然に物を書いていると、世の事態が見えてきてしまって、狂ってしまいそうになる」と言っているが、私などもクリスチャンになっていなければどうなっていたことか。現代では庵を結ぶわけにもいかず、できることは永平寺あたりに入ることだろう。道元には憧れていましたからね。あの凛とした空気は身と心が引き締まって背筋もシャンとする。

私の場合、どうしてやっていられるかと言えば、霊と魂の切り分けができているからでしょう。ここでいろいろな病理現象を切り刻んでいると、何の希望もないような気分にもなるが、実は霊に戻る時に、真の自分のアイデンティティを確認し、あらため本当の身の置き所を見出すわけ。自分を取り戻すことができる場所、それは真の至聖所である霊である。心の底からほーっと息がつけ、父の愛がじわーっと迫ってくる。

神の子であり、居場所は霊のうち―ここが開けると物狂おしいこの世(教界も?)でも真の自分を保つことができる。多くの混乱しているクリスチャンは魂の中を果てしなくぐるぐる空回りしている。魂と霊が分離されるならば、ただちに安息に入ることができ、まことの満足も得られるのだが。

ニッポンキリスト教の普通の牧師で、霊と魂の分離などというメッセージをするセンセイはいないし、そもそも何のことか彼らには分からないだろう。いわんやその下にいる信徒をや。弟子は師を越えないとあるとおり。これが教界の果てしないややこしさの理由である。

私と接触するとそれぞれの方がどうも目覚めるので、それまでの生き方に対しても、周囲に対しても、いろいろと白黒をつける必要が出るようである。「うちのセンセイのおっしゃるとおり」であればある意味で自己責任を放棄して楽なのであるが、目が開くと責任と苦しみも背負い込むことになる。バイブルカレッジの受講生の方々もいろいろ自分と周囲に変化が起きてきて戸惑う場合も多いようである。まず霊が開かれるとクリ系の新聞や雑誌を読んでも無意味。またいわゆるキリスト教の慣習や伝統、人の様や評価にも無頓着となる。

なぜなら今この瞬間にいます実質(=ありてある)に触れているからである。かくしてそれぞれが主の前にまず単独者として立って、「あなたはわたしに従いなさい」という主の招きに応ずることがすべてとなる。それは一面孤独の極致であり、人間的な慰めを求める人には耐えられない。しかし実は最も甘美な状態であるのだ!この甘さを経験するならば、目に見えるものは瞬時に意味を失ってしまう。

Jesus, You are so sweet and more than enough!

マイケル・ジャクソンの病理

彼がパラフィリア(性嗜好異常)の一種である少年性愛者であることはそのスジでは以前より指摘されていた。ネバーランドなるオドロオドロシイ場所に少年と過ごしているらしいが、彼は大人や女性は信じることができない、ただ信じられるのは子供たちとして、子供の人権や保護のメッセージの発信し、活動もしていたようである。が、今回の逮捕はその表の顔と裏腹に彼の病理が暴かれてしまった。

成人男性でも成人女性と関係を持つ事のできない"純情な"人物が、少女を相手にする場合がある。成人女性に対する時に自分の真実に触れられる恐れを覚えるのである。先日も書いたが、今日、このような人物がしばしば教育界にいることが不気味である。あの詫間氏による小学生惨殺事件の後、学校は一応外部者に対する警戒は強めたようであるが、実は内部にすでにそのスジの人物が教師として侵入している。

福祉やボランティアなどの場面でも、しばしば裏で性的(に限らないが)虐待がされていることは業界ではよく知られた事実である。なぜならこの領域ではしばしばスタッフ自身が問題を抱え、その問題を福祉・ボランティア活動により代償的に補償するためのものであることが多いからである。

「自由・平等・博愛」なる旗印は偽りであると知るべきである。神を排除したこの世の真実は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」である。平和主義者や博愛主義者がしばしば最も過酷な攻撃者となることは、十字軍が証明している。