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ご紹介-「事」ではなく「方」-

私がある意味でウンザリしていることは、「クリスチャンとして私は何をすればよいですか。自分は何をすべきか祈ってもよく分からないのです」と言う問いである。私は率直に言って、こう思っている:「私はあなたの主ではないから、私に分かるわけないでしょう」。

きょうemiさんのBlogを拝見したら、ホッとすることが書かれてあった。実にうれしくなりますね。「神の御旨を行うために、私たちは何をすればよいですか」と尋ねる弟子たちに、主は「神が遣わされた者を信じることだ」と答えられました。

「私は何をすべきですか?」との問いには実は自己が隠されている。自己を受け入れ、自己を認めてもらいたいと言う動機が巧妙に隠れている。自己から解かれることをメッセージすると、「どうしたら私は自己から解かれるのでしょうか」と尋ねられ、そろそろめげて来ていたので、ほんと励まされます:

              −源へ−

何かのメッセージがあった時、私たちの反応として、「では、私は何をすればよいのか。」という問いは、ある意味、見当違いなのでは、と思う。間違いではないとしても、かなり遠回りであり、ともすると、そこからでは目的地へは着かないかもしれない。

そのメッセージの源である方を知り、愛し、その思いを知りたい、似た者になりたい、という方向に導かれない限り、すべては応用不可能なバラバラな事柄であり、そこからどんな実が得られるのだろう。

(中略)

御言葉を読むとき、その中に自分のなすべきことを探す以上に、書かれたお方を探したいと思う。

サーバー不調のため

本日のメッセージとワーシップのWeb上での公開ができません。あすまでお待ちください。FTPサーバーは正常ですので、そちらからはダウンロード可能です。FTPクライエントで次のユーザー名とパスワードで入ってください:

アドレス: kingdomfellowship.com
ユーザー名:common
パスワード:kfc

なお、ファイアウォールを通過できないときは、passive modeにして下さい。詳細は、メニュの「公開FTP」のお知らせをご覧ください。

今週の気にかかる事

その1:どうも咳が止まらない。メッセージでも途中で咳き込んでいますので、お聞き苦しい点、すみません。

その2:オリンピックにメダルが出ない。ジャンプもだめ。あとはフィギュアのみだが、果たして・・・。

その3:民主党による武部氏関連メール疑惑。次の一手は、形勢不利と見せかけての隠し玉か?銀行口座を把握しているとか、ほんと?それともブラフ?

その4:株式市場が軟調。外人が売り越し、日銀の政策が変更されることへの思惑。単なる一時の調整か?

自民党VS民主党

午後カミさんとまた映画。フランス料理とワインで昼食を取り、『プロミス』を。中国映画で映像はなかなか奇麗。ストーリーはちょっと良く分からないが、まあ、楽しめた。人を信じることができるかどうか、これが運命(プロミス)を一面で決めるわけで、また一面で運命は変えられるというメッセージのようだ。チャン・ドンゴンと真田広之がけっこうはまっていた。これからはアジアだと予感させるものがあった。

 * * *

武部氏の息子をめぐっての攻防、本日の予算委員会の質疑は面白かったです。小泉氏は「ガセネタ」と切って捨て、民主側は新たな証拠は出さずに、圧された形になっています。が、隠し玉があるのかどうか。もしあって、今日のような形を取ったとしたら、なかなかの役者です。もしなかったら、民主はやばいわけで・・・。民主側は数名の目を通しているようですから、それなりの確証を得ているのでしょうが。

それにしても安倍さんがいつもみたいな穏やかさを失って、血管が浮き出るような口調であることが気になっております。あのNHKに対する圧力疑惑のときは、自分が名指しされたわけですが、けっこう冷静だったのに、人事なのにやや剣幕が・・・。なぜなのでしょう。

加えて今週の週間文春によると、野口氏の自殺についてはやはり裏があるようで、彼は闇社会と意図せざる形で関わってしまったようです。あの自殺はそう追い込まれての挙句のようですね。香港に設立した会社役員に奥さんを据えたようですが、奥さんはそれと知らずに判を押しているようです。野口氏は友人に対して、「日本経済に殺されそうだ」という言葉を残しているのですね。どうも表に出せないような不可解さがあります。

Re:人格障害というビョウキ

お久しぶりです。ルークさん!
人格障害というビョウキ・・のお話にはまったくうなずいてしまいました。まさに牧師も信徒も・・といった状況の中で出口がない迷路に置かれたような疲労感、徒労感を覚えます。何だろう・・このかたくなさ??まったく持って厄介な人々の集まりです。厄介な牧師が厄介な信徒にメッセージを語る。いのちが枯渇している世界。渇きが渇きを呼ぶ世界。宗教ごっこは、もううんざり。
ビョウキの人の目は輝きがない。どこか死んでいる。
思い込みの激しさ、本当に他の人の言葉は届かない。
いのちという感覚の流れとは無縁のような人々。重症だと思うのは・・わたしだけ?

長引いています

どうも気管の炎症が取れませんで,しゃべろうとすると咳き込むありさま。冷たい空気が沁みます。もともと気管支が弱く,ドッグでは必ずスバイロメーターでひっかかるのですね。要するに換気能が低いわけ。まあ,ぽつぽつといきましょう。

BBSでは「尋問された」とか,なんだかこわいことになっているようですね。一体信徒は誰のものなのでしょう。牧師先生の所有物?アブソリュートリー・ノー!イエスの羊でありましょう。そのあたりを勘違いしている御仁が多いのです。

私のメッセージを聞くと,ひとりひとりが目覚めてしまうので,そのような先生には都合が悪いのでしょう。「起こさず・眠らさず,(自分に対して)従順に・・・」の呼吸で牧するわけです。これから生まれる「リバイバル」って果たしてどんなものだと思いますか?どこか病んでいるのですね,このギョウカイ。

真の礼拝

今のキリスト教界を見ていると、自分の必要の満たしのための礼拝、教会生活、学び、奉仕ばかりである。救世軍の山谷氏が指摘されていたが、米国のメガチャーチの成功の鍵は、あらゆる必要の満たしの設備とスタッフをそろえて置くことだ。

ここにあるのはまず神を拝する事ではなく、自分の問題解決や必要の満たしを得るために神を拝すること。つまり神を手段としている。すべての判断が「自分にとって」に基づいている。自分にとってやさしく、自分にとって益になり、自分にとって満足を与える者がGOOD。

これは特に心を病んでいる人たちに言えることであるが、彼らは自己の確立が不明確であるために、絶えず自分を受け入れ、自分を認め、自分を評価してくれる存在を求めている。この期待にこちらが沿っている間は、「Dr.Lukeは素晴らしい!」なのだが、いったんその期待をはずすならばエライことになる。お分かりになります?すべての基点が自分にあるわけ。

かくして教会ジプシーがあちこちをさまよい、様々の噂を流しつつ、このギョウカイを混乱させていく。本人自身も真の満足を得ることができないので、フラストレーションをさらに発散しつつ、悪循環に陥る。

真の満足や真の喜びは自己を離れる時に味わえる。礼拝を自己実現の手段とすることがないように。礼拝はただキリストにあって、キリストのため、キリストの満足のためのもの。自分にとってどうか―このような幼児性から一歩踏み出す必要がある。

しかしセルフ・オブセッション(自己がすべて)の今日このようなメッセージはあまり好かれないだろう。現代に主が地上におられたら、多分言われるであろう:「今人気がない者は幸いである。天において神の心を勝ち取るからだ。」

ホリエモンばかりでなく、私たちもすべてをゼロクリアして初めの一歩を踏み出す必要があるようだ。