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ヤラセの代償

ニッポンキリスト教の有名牧師の"不良"的生き死に方。だんなをばらしたセレブ奥様のブランド的生き殺し方。そしてダイエットに効く納豆を報じた真実捏造を報道するテレビ!?これで納豆の売り上げが倍倍ゲームだったそうだが、増産体制を取った業者は途方にくれているようだ。ヤラセの代償はあまりにも大きい。(まあ、納豆を食いすぎても害はないわけだが・・・)

それにしても、納豆でダイエット?あのね、ダイエットを実際に経験すれば分かります。食べて痩せるとか、簡単にスリムボディを手に入れるとか。ウソです!脂肪は9Cal/gですから、1g減らすには9Calの消費が必要なのです。要は入るカロリーと消費カロリーのバランス。要するに財布と同じく赤字にすれば体重は減るのです!そしてポイントは筋肉を落とさないこと。脳以外に大量のエネルギーを消費するのは筋肉ですから。こうやって理屈で考えれば、納豆がダイエットに有効などとは決して思えないのですがね・・・。

ニッポンキリスト教も同じ。アメリカ辺りから来る油注ぎの器だとか、立派な先生の教えだとか、そんなものに飛び付くことがそもそもおかしい。ああすればリバイバルが起こるとか、こうすれば教勢が拡大するとか。ウソです。聖霊派あたりのイメージするリバイバルなどはまっかなヤラセでしょう。

健やかな信仰生活は、日ごろの管理です。何をどう食べるか。私たちは御言葉をひたすら食べること。霊的には油で大いに太りましょう^^そして当たり前の生活を、当たり前に淡々と送ること。主は言われた

神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。

メッセージでも言ったが、今後この業界、様々の教えの風が吹きまくり、ヤラセが蔓延り、わけの分からない事件が起きてくる。普通さ、素朴さ、当たり前さを喪失した代償として。ビョウキが"当たり前"になってしまう倒錯現象が当たり前になってしまうだろう。前から何度も紹介してる『カッコーの巣の上で』のように。

神の国の奥義

と題するメッセージを始めました。やや、というよりかなりハードコアな内容です(ウォッチマン・ニーの理解に準拠しています)。真に救いの安息を得ていないと聞くことが難しいでしょう。ニッポンキリスト教界、不安と恐れを強く持っている人が多いのです。そのような方はパスして下さい。なぜなら

乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。

とあるとおりです。恵みがあれば最後まで語ることもできると思いますが、あるいは途中で中断するかも知れません。これをご理解いただければ、モーセ律法による石打ちの刑を復活する必要がないことが分かるはずなのですが。神は愛であり、同時に義であるからです。

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ワーシップ
メッセージ

Re:驚きますね

う〜ん、再び富井氏がすごいことをおっしゃっています(1月22日記事)。「神は、人間をいけにえとして創造された」とか、「われわれは血みどろの権力闘争の中にいる」とか。現在の人間視点(ヒューマニズム)のキリスト教界には彼と同じように感じていますし、彼の主張には同意できるところが多々あるのですが、しかし本質的に何か、どこかが違うのですね・・・。エデンの園を見て下さい、と私は言いたいのですが。

メッセージでも語りましたが、一部の聖霊派が夢想しているようなキリスト教徒天皇をいただいたキリスト教国家ニッポン(教会国家)などができれば、それはそれは空恐ろしい光景が展開することでしょう。現在のニッポンキリスト教の状況を見れば容易にどんなことになるか推測できるでしょうに。それは不気味にして怖いですよ。

Re:目覚めつつある中国

ご自分の考えを御言葉をもって締めくくられるのは、ご自分の正統性を誇っているようにしか思えないのですが、私の考え過ぎでしょうか。メッセージを聞かせていただいても同じ疑問を感じてしまいます。御言葉の大切さを強調されている反面、氏のご意見がメッセージの大部分を占めているように思います。兄弟姉妹の関係を大切にされているなら、他の兄弟にも説教の機会を提供されてはどうでしょうか。牧師でなく、卜者だと言われていますが、教会の中でお一人だけが御言葉を語る立場を取られるなら、人々の心の中では「師」となってしまうのではないでしょうか。これが、最後のコメントです。ありがとう。Dr.Johnでした。

Re:文藝春秋2月号

ブログを読ませていただき、メッセージを聞かせていただきました。素朴の質問があります。教会の方は他教会からの転会の方が多くいませんか?自立したクリスチャンを育てることを強調されていますが、メッセージの内容はルーク色が強く、弟子と師の関係が築かれているように危惧します。働きが祝福されますように。Dr. Johnでした。

久しぶりの・・・

オトナがじっくり鑑賞できるテレビドラマが始まった。『華麗なる一族』−あの山崎豊子の原作。主人公がキムタクというのがやや・・・であるが、原作がしっかりしているし、ドラマもかなり力が入っていて、かなり楽しめそう。かつての『白い巨塔』や『大地の子』のノリ。音楽までも『大地の子』の雰囲気。と言うわけで、メッセージの更新が遅くなりました。

→2007年01月14日主日
ワーシップ
メッセージ

松沢牧師事件に思う

昨年末の事件については、私の知人でもアーサーのバイク・ミッションに入り、アーサーを真似て刺青を入れ、妻と娘を置いて失踪した兄弟がいましたので、他人事とできない部分があるのですね。彼はバイク・ミッションのサイトの写真にも出ているのですが、最近ようやく居所が分かってきたようです。それで前々からアーサー・ホーランドや松沢さんのメッセージを時々拝聴しておりました。

まあ、彼らはいわゆるニッポンキリスト教の牧師たちの金太郎飴説教とはかなり違いますし、本音をぶつけ、愛と人情にも溢れ、確かに人々を惹きつけるでしょうね。対する私などは、愛がなく、クールで冷たく突き放されると感じられる人が多いようでありますが・・・(反省)。彼らの、「神学校なんか出ててもろくな者になりゃしない」とか、「ジーザスは好きだがキリスト教は嫌いだ!」、には少なからず同感なのです。

しかし、故人をあれこれ言いたくはないのですが、一言だけ言わせていただきますと、彼らは危険ですね。それは彼らの教えなどが危険と言う意味ではなく、彼らが危険な場所におり、また危険なことを無自覚にしていると言う意味です。盲腸しか切ったことのない外科医が肝臓を切るようなものでしょうか。あるいは放射能のある場に防護服なしに出るようなもの(霊的領域では皮ジャンは役に立ちませんし、クサリでは悪魔は縛れません)。下に書いたような人々によるマニュピレーションに、その情の熱さゆえに容易に振り回されてしまうのです。つまり彼らはあまりにも無防備であり、裸同然です。

松沢師のメッセージもイエスに対する愛と人々への情があると共に、内側に自己破壊的な衝動がしばしば感じられます。おそらく自分でも制し得ないモノがあることを薄々感じておられたのでしょう。また説教の特徴は、感情には訴えるのですが、御言葉がほとんどない。神学などいらんと言いつつ、旧約ではこうだ、新約ではああだと言ったややこしいこともいらん、とまで言ってしまっています。御言葉によらず徒手空拳で闇の勢力に裸で立ち向かってしまわれたような今回の印象ですね。

フロイトは晩年、人間性の本質はエロスとタナトス(自己破壊的死への願望)と指摘しましたが、まさにそれらを感じさせる事件でした。遺族と成増教会の皆さんは今きわめてつらい時期と拝察しますが、主の慰めと新しい道が開かれることを祈ります。