No.943の記事

民営化の是非

日曜日は何故か教会などを始めてしまったためにけっこういそがしい。しかし午前の「サンデイプロジェクト」は絶対に見ることにしている。今日は全政党の党首が勢揃いでケンケンガクガクやっていた。昔であれば、こんな学級会議みたいな企画に政治家たる者が出ることはなかったであろうに、特に社民党の福島さんなどは発言の機会がなくて、何度も手を上げて「ハイ、ハイ、ハイ」で無視され続けてかわいそう。といっても聞くべきものは何もない。

自民と民主は結局は同じなのだ。これは共産の志位さんの言うとおり。志位さんが岡田さんより若いと知って、ちょっとビックリだが、「確かな野党」と言う明確なアイデンティティを打ち出したことはなかなかよい。「いずれは私たちも政権を取りますよ」と言っていたが、この人、それなりに本気なんですね。

こういった話を考察する場合、物理学では思考実験を行う。なるべく極端な単純な場面を設定してみることだ。まずすべてが民営化されたらどうだろう。これはまさに弱肉強食。勝ち組と負け組みが完全に分かれる。で、敗者には救いが一切なし。ニッポンにもスラム街ができ、今のアメリカの様となる。

次にすべてが国営化されたら、これはまさに社会主義国。中国は政治は共産主義で経済は市場経済と巧妙に使い分けているが、本質は官僚による統制国家。というより、国民すべてが官僚なのだ。経済はたちまち回らなくなる。旧東ドイツでは保険が理解されなかったそうである(彼らは国家が保険なのだ)。

要するに、この両極端の間でどこに落とし所を見出すか、である。これはニッポンキリスト教でも同じ。全員がいわゆる「献身(=クリスチャン的出家)」をしたらどうなるか。北朝鮮どころではない!(それでも北朝鮮には健気な美女軍団があるが、ニッポンキリスト教には・・・・汗)

言い方を変えると、自己責任と社会保障のバランス。私は年金の原資を負担しない者に税金で最低保証をするな、と言いたい。年金くらいは401Kとは言わないが、自己責任で管理しろよ、ホントにっ、腹が立つ。韓国では企業を潰すと刑法犯になるそうだが、そこまではともかくとして、努力してなおコケた場合、社会が敗者復活のチャンスを用意する必要がある。今のニッポンは悪平等で、運動会でお手手つないでゴールするとか。アホクサ。

平等なのはチャンスで十分。結果は分かれる。神の国もタラントを増やすことに長けた人と、そうでない人にキリストによって査定される。下手な人は土の中に埋めておかないで、銀行に預けよと主も言われる。主は多分優秀なトレーダになれるでしょう。どこまでもチャンスは平等に開かれ続けること。

そして勝った者はその報酬・果実を十分に享受できること。私も年俸2,000万近くに達したことがあるが、社会負担で4-500万取られることを知って、働く気力が萎えた。「持っている者はますます豊かに・・・」−この原則を貫く必要がある。

前にチャーチスクール・スレでえらく不評だったが、ニッポンがこれから生き残るには、20%のエリートを作ること。そして彼らにチャンスをどんどん与え、成果主義に徹すること。後の80%はその成果のおこぼれでやっていける。これが「パレートの法則」なのだ。その意味で私はホリエモン氏にはある面で期待している。が、前にも言ったが、亀井氏の義理人情も理解できてしまうわけ。多分ホリエモン氏はまったく分からない世界でしょうね。

しかし時代の流れはすでに決まりつつあるようだ。ニッポンキリスト教などはこのままだと飲み込まれ、屈折した甘えの病理を持つ者ばかりで、ますます1%枠に押し込められるだろう。だから今こそ、「脱ニッポンキリスト教せよ」と私は言いたいが、残りたい人には無理にとは・・・である。気がついた人は幸い。おそらくこの1,2年で結果が出るだろう。宗教はアヘン、社会主義(共産主義は宗教です)。悪平等。われわれは宗教徒ではないのだ。信仰は自己責任。あなたの信じたとおりになるように、と主が言われる。アーメン?

Commented by kamekame 2005年09月04日(日)22:38

脱ニッポンキリスト教って具体的にはどうすればいいのでしょうか?

Commented by ともじいのおやじ Eメール 2005年09月07日(水)20:35

私が大学生でパワーリフターだった時、学校にプロテインを持ち込んで放課に飲み、昼食は必ずドンブリ飯に生卵2個プラスこれも持参のサバ水煮缶を食べ・・・級友が一言、「おまえ、コーチに洗脳されたな?アホクサ!」当時は真剣だったが、バーベルの世界から足を洗ってようやく「アホクサ」がわかった。
一歩外から眺めると・・・ですね。「洗脳」かも?
ああ怖いコワイ・・・

Commented by Luke 2005年09月18日(日)00:39

再建主義の富井氏が非常に面白いことを言っている。勝ち組と負け組みに分かれるのは当然。しかし「リセット」が必要であると。聖書の安息日、さらにヨベルの年である。一読をお勧めする:
http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi