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何ゆえに・・・

この業界、ビョウキの人が多いのでしょうか?確かにイエスは「健康な者に医者はいらない。わたしは病気の人を召すために来た」と言われました。が、それをビョウキの正当化にしてほしくはない、と私は思うのです。

病んでいる人は適切な自我を確立していないために、自分を受け入れてもらえるかどうかがすべてなんですね。彼らは自分が受け入れられていると感じて安心している間は、おとなしいのですが、いったん自分が拒否されていると(勝手に)感じると、態度や表情が豹変するわけです。かくしてネガティヴなエネルギーを周囲に発散するわけ。

このキリスト教業界、自己愛性人格障害、境界性人格障害、妄想性人格障害、回避性人格障害あたりが相当に多い。統計的には、一般社会でも10%はあるのですが、私の印象では。ニッポンキリスト教界ではおそらく30%程度はあろう。彼らには十字架を語ってもほとんど理解されない。何しろ彼らにとっては自己がすべてであるから。

かくして目が点になるような事態がたびたび起きるし、こちらも否応なしにそれに巻き込まれるわけです。ある意味、倒錯した人たちと接するときには、こちらも傷を受けることは必定なのですね。彼らと接する際にはこちらが十字架を取って降りること。決して争ってはならない。

まことにこわい存在はニ・ン・ゲ・ン。が、打たれたイエスを思うとき、何故に神は・・・と。(・・・前にも書いたっけ・・・)

 * * *

千葉の補選で民主党の元キャバクラ嬢太田氏が当選確実。これから政治が面白くなります。

Commented by タリタ クミ 2006年04月24日(月)10:16

ルークさん、こんにちは。色んな人格障害を持つ人達はどうしてそんなふうに育ってしまったのでしょうか?
そしてもう直らないのでしょうか?そうならないため、またわが子をそうしないために、注意すべき事ってあるのですか?中3の娘に頭をかかえる事がふえてきた昨今です。ご指導よろしくお願いします。

Commented by Luke 2006年04月24日(月)11:38

こんにちわ。昨日も一瞬凍りつく場面があったわけですが・・・(^^;A

そうですね、本人の意志によらない要因と、本人の意志による要因が絡まっているのでしょうけどね。分裂病などはまだ薬が効きますが(面倒な患者は薬で抑えてしまいます)、人格障害は薬も効かないし、治療はほとんど無理です。そしてもっとも根本的な問題は、彼らが自分の病理に気がついていないか、認めない点です。ひたすら自己を主張し、それが拒否されると一転して妄想混じりの恨みに変わりますから、かなりコワイわけです。で、しばしば教会ジプシーしているわけ。

育て方は、まあ、ニッポンキリスト教のCSなどは止めておいた方が・・・。教える方の教職者自身が病んでいるケースが多いですから。子供には普通にこの世の競争原理の中で切磋琢磨を受けさせることですね。旧約聖書の原則はパロの下でエジプトで訓練を受けることです。肉に仕える事ができない者に霊に仕えることなどできません。

Commented by 春野目覚 2006年04月29日(土)02:53

十字架を語ってもほとんど理解しない自己がすべての人間がどうしてクリスチャンたりえるのでしょうか?(未信者となんの違いがあるのであろうか?)

イエス・キリストの十字架の購いは自己愛性人格障害、境界性人格障害、妄想性人格障害、回避性人格障害には効果がないのでしょうか?(これって十字架の購いを貶めることになりません?)

これらの方々も『地の塩』てことになるんですかねぇ?

Commented by Luke 2006年04月29日(土)09:24

ええとですね。<主の十字架(救い/贖いの力)>と<私の十字架(救いの適用)>の違いをご理解くださいませ。

Tコリント1:18−十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

とあると同時に、

マタイ10:38−また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。

とあるとおりです。

病んでいる人は病んでいる自己がアイデンティティとなり、それを決して捨てませんからね。

Commented by kawa 2006年05月01日(月)13:19

未信者との結婚禁止、株の売買禁止、他宗教の仕事禁止等が純粋な対人恐怖症をつくってしまう。純粋な孤立したクルシチャン家族は霊的喜びに関しては疎く、キリストが形づくられるまで苦労が絶えることはない。