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サイボーグの可能性

立花隆の『プレミアム10』。マン・コンピューター・インターフェイスによって、脳とマシンを直結することにより、機械を脳が感覚のある肢体としてコントロールできるようになるわけ。かくして人間とマシンの境界線が消失する。

すると問題となるのは「自己」とは何か。少なくとも今私がこうして文章を書いている私の手は、マシンに置き換えても、「私の手」と成り得るわけ。目も人口眼球に置き換えられる。内臓も・・・とやっていくと最後は脳が残る。これを取り替えたら私が私ではなくなる。ここで養老先生の『唯脳論』となるわけ。しかし私の大脳とまったく同じネットワークとファンクションを持つICチップができれば、私はそのチップの中に生きることができる。現に人口海馬(脳の記憶装置)チップはすでに完成されている。

が、このような見解は、脳と霊の関わりを一切考えないサイエンスの世界の話。脳は電流と化学物質によって動作するが、では自由意志も物理化学現象だろうか?実は今日の講義でココを話したのですが、私たちの意志はどこから生じるのか。もし物理化学現象であれば、偶発的な電流の発生や、分子運動論的な化学変化によることになってしまう。

すると脳が自然界を理解することは、物理化学現象が物理化学現象を理解することになるわけ。もっと言えば自然界の法則自身が、自分自身を理解することになるわけで、これは明らかにおかしい。ユング派の河合隼雄氏が、主観的世界はサイエンスでは解明できないと言っていたが、鏡がなければ自分の顔を見ることができないのと同じこと。つまり自分の脳を理解することは、自分の脳自身には不可能なのだ。

また彼は自己(意識)の本質は「インテグレーション(統合性)」にあると言っていたがこれはまったくそのとおりと。分裂病などはこれが壊れるわけ。昨日の人格障害などはこの統合のあり方が歪んでいるのだ。

かくして脳の情報信号を取り出して、それによってマシンをコントロールすることはできるであろうが、そのマシンをコントロールする意志を作り出すことはできない。意志は物理化学の世界の外に存在するから。ここで魂と大脳の関わり方のメカニズムがどうなっているのか、つまり意志を持ったときに大脳に電流情報が生じるわけで、私たちの意志は物理化学的世界と関わることができる。その接点がどうなっているのか、私はこれを知りたい。

創世記2:8において、神は体をチリから造り、霊を吹き込むこと、人は生きる魂となったとあるとおり、霊と体の接点として魂が生じたわけだが、その接点のメカニズムはいぜんとして解明されていない。物質界と霊的世界の関わりは現在のサイエンスでは取り扱われていないが、私が今もっとも関心を持っているテーマである。