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愛によって働く信仰!

本日も仕事。ダイエットも重なって、かなりキツイ。が、メタボリックシンドロームで死にたくないので、ややガンバッています(私はほとんどガンバルことはないのだが・・・)。

それにしても驚きました。再建主義の富井さんが、伝道の鍵は「愛によって働く信仰だ」とおっしゃっています。これは私たちのスローガンでもあります。よく「信仰・希望・愛」のうち「最も尊いのは愛だ」として、「何でも許して・認め合って」式の甘えでベタベタのニッポンキリスト教的キモイ人間関係ができる。しかし聖書は「信仰によらないものはすべて罪だ」と言っているのです。つまり信仰によらない愛は罪なのだ!では、愛と信仰どっちなの?回答は「愛によって働く信仰だけが尊い」(ガラテヤ5:6)。

富井さんとはレビ系モーセ律法(ノモス)とメルキゼデク系いのちの御霊の法則(ノモス)についての理解の相違が乗り越えられれば、かなり真実なよい交わりができるのですね(詳細はこちら)。御言葉ではなく、再建「主義」にはまってしまっているのが残念です。ご自分のサイトで、私のことを徹底的にこき下ろしておられるのですが、彼は真実ですから、私は腹も立たないのです。人を貶めるのは不真実な意図です。真実を分かっていてタメに不実をすること。彼らは「心の曲がった者は幸いを受けない。舌をもって欺く者は災難に陥る」とあるとおり、自分で刈り取りをします。

私たちの神も同じです。神は心の捻じ曲がった者には捻じ曲がる方と書いてあります(2サムエル22:27)。神をどう見るか、神とどう関わるかは、その人の心の鏡の歪みを反映するのです。心のビョウキの人はさらにその歪みが拡大します。また自分が批判を受けるときも、その批判内容を見れば、相手の心の様が分かります。あえて反論するまでもありません。かくして私たちの責任は真実に対しては可能な限り真実に応答するだけ。神の前での責任はこれで果たせます。

というわけで、お説教がましくなりましたが、これから風呂に入って、ビールを・・・と^^(もっとも小さいやつですよ・・・)。これが等身大のDr.Lukeであります。

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NYダウが100ドルを超える下げ。月曜日がやや心配だ。