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ダ・ヴィンチ・コード

この土曜日に封切りとなる同作品を楽しみにしている。実はダ・ヴィンチは高校時代から好きで、彼の作品集なども持っているのだが、この映画が何で信仰へのチャレンジとなるのか、ちょっと調べてみた。ダ・ヴィンチ自身も当時のキリスト教界に対する反逆を試みていたらしい。

要するにマグダラのマリアとイエスの間には子供がいて、それが後のメロビング家の祖先となり、カトリック教会はそれをひた隠しにするために、ルーブル美術館長を殺すわけ。その犯人とされるのがトム・ハンクスで、館長の孫娘と一緒に隠されたミステリーに挑むというお話らしい。テンプル騎士団とか十字軍とかが出てきて、さらに聖杯(最後の晩餐で用いたもの)の行くえを巡って謎は深まるわけ。お話としてはなかなか面白い。

が、私たちの信仰を揺るがすものではない。先のユダの福音書もグノーシス主義(マグダラのマリアが創始者だそうだ)のものであり、私たちの知っているイエスとは関係がない。ただイエスの磔刑はインチキとか、復活はなかったと言っている向きもあるので、真理に対する挑戦ではあるが、真に受けるまでもないと思う次第。

下にも書いたが、カトリックの歴史がいかに魔女を数百万焼き殺したとしても(プロテスタントも同じだが・・・)、私個人の信仰とは関わりがない。しかし世の人にはキリストご自身とキリスト教の区別はつかないだろう。その意味で下に書いたとおりの感覚を持っているが、私個人の信仰が挑戦を受けるものではない。

ただし、やはりこの世の霊(ストイケイア)が活発に働いていることは間違いなかろう。何とか真のイエスから人々の目を逸らそうとしている意図を感じる。このような霊的雰囲気の中で、少しばかりの力しかない私たちではあるが、淡々と御言葉を語り続けることだ。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月17日(水)08:57

最後の晩餐、去年実物を見てきました。 さすがはレオナルド!ダ・ヴィンチって出身村の名前で、実は私生児だった彼には苗字が無かったんだそうですね・・・その辺がやはりカトリック教会と反りが合わない最初の理由の一つかもしれません。 構図がイエスを囲む12使徒の間のドラマを見事に物語っていました。 画家としてこれだけ才能のある人が、しかしカトリック=キリストだと言う構図から抜けきれず、本当のイエスに出会えなかった(?)としたら、その方が悲劇ですね。 

個人的にもっと好きなのはゴシック様式の影響から抜けきれていないフラ・アンジェリコの作品です。 画僧の作品だからカトリック教会に対する反逆精神は当然無いでしょうが、それ以上に、神への子供のように無垢な信仰心を感じ、それに私の内にある霊が共鳴して感動します。

ダン・ブラウンの著書は小説で読みましたが、フィクションとしてはスピード感もあってなかなか面白く書かれていると思いました。 ただイエスとマリアが仮に結婚していてイエスの磔刑死後、マリアが子供を産んでいたという説ですが、完全な『花婿』であるイエスが、自分はこの世を去り、母子をこの世に置き去りにして行くという運命を知りながらも結婚したり、子供を作ったりするかな?と、この説はイエスのご性格を考えると疑問に思うし、イエスが刑死しなかったという説も良く聞きますが、歴史的記述から言ってもこれはまずあり得ないです。所詮はイエスご自身を知らない世の人が書いたものだと思います。

聖書の偽典、外典と言えば、ユダの福音書が復活を否定する一方で、同じ聖書の偽典、外典のヤコブの福音書には、マリアが産気づいた時に面倒を見た産婆が、マリアが処女であった事を確認して驚いたという記述があるそうです。 

Commented by ICHIRO 2006年05月17日(水)13:44

場所によっては大変なことになっているようですよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000016-nnp-int

Commented by 通りすがり 2006年05月18日(木)17:14

何の根拠もないヨタ話に、yumemiさんのように本気で考えてしまうクリスチャンもいるわけで、いわんずや、聖書を読んだことがない人々には相当な影響があると思います。
イギリスでは、小説を読んだ6割の人が、このヨタ話を信じているくらいですから。↓http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060517-00000084-kyodo-soci
切実な問題ではあると思いますが。。

Commented by yumemi Eメール URL2006年05月18日(木)19:39

<通りすがりさん、
私は全然本気で考えてる訳ではありませんので、あしからず。 
ただイエスを知る恵みに預かった者として、歴史的、また霊的、個人的に、この説は義経がチンギス・ハンになったとか、ローマ人の祖先はトロイの落ち武者だと言うのと同じ程度の信憑性しか感じないと言いたかったんです。 だからお話としては面白いと思います。 ただ映画としては失敗作みたいですね。 カンヌ映画祭では失笑を買っていたそうですしね。所詮はその程度の物、という事です。