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敵前逃亡

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あのK-1選手のボブ・サップが試合の30分前に逃亡したとか!?やっぱりパンチやキックは痛いのでしょうね。あのボディでも逃げてしまうとは・・・。で、K-1から追放だそうだ。けっこう彼は気が優しいのでしょう。

さて、英語のわが学生も、訳の担当箇所を当てられながら、当日逃げてしまうヤツがいるのです。先週逃げた学生が今日来ていたので、「あのね、君、アメリカ軍隊では敵前逃亡すると銃殺もありだよ。君も試験から10点マイナスするからね」とやや脅し気味に、しかし笑顔で宣告すると、彼はうつむいて「それで、いいです・・・」。内心でガクっとしつつ、「あのね、君ね、人生はそう簡単に投げちゃダメよ」と金八先生的に諭すと、他の学生がドッと受けるわけ。これが現代の学生気質です。何というか、こちらに関わってこないのですね。諦めが早いと言うか、すぐ投げちゃうと言うか。私の方は「先生、何とか助けてよ〜」と言う言葉と関わりを期待しているのですが・・・。

実は神も同じ。アブラハムがソドムとゴモラのためにとりなした時、実は神は全滅などは願っておられなかったのです。誰かがその神の心を汲んでとりなしの祈りをして欲しかったのですね。アブラハムはその神の気持ちを汲んで祈ったのです。私たちは祈るとき、「主よ、あなたはこれこれを願っておられますね。御心どおりになりますように」と、神の心を汲んでしまうのです。私たちが勝手にあきらめて、「もういいです・・・」とうなだれて神の前から退いてしまうのは、あの金持ちの若者のように永遠の損失です。その時、父なる神は何と寂しいと感じられるでしょう。子である私たちは、あくまでも執拗に願い、求めましょう。まさにそれを父なる神は私たちに期待しておられるのですから!

(写真は嵐の合間の日光の差す空です。これが何なのだ、と思われるでしょうが、雲が面白かったのですね・・・)