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在基督的見性発語

午前の講義を終え、昼食を取り、iTunesのジャズを聴きながら、6階の窓から外を眺めつつ、コーヒー片手にゆっくりしております。

救世軍の山谷氏が道元の正法眼蔵についてうれしいコメントを下さった。正法眼蔵を知るクリスチャンはこの業界になかなかおられない。うれしくなったついでに、また一言。

禅には大きく分けて臨済禅曹洞禅がある。方法論的にやや違うのだが、目指すところは同じ。「当たり前は当たり前」。「即心即仏」。「花紅柳緑眼横鼻直」。ちなみに鈴木大拙が鎌倉円覚寺釈宋演の元で得た見性の発語は「肘外に曲がらず」であった。

臨済禅では公案を用いるが、『碧巌録』第三十九則に「雲門花薬欄」という公案がある。

 挙す。僧、雲門に問う、「如何なるか是れ清浄法身」。門曰く、「花薬欄」。

 (注:花薬欄とははばかりの前の植え込みのこと。)

もっとすごい公案になると、

僧問う、「何是仏(仏とは何ぞや)」、曰く「カンシケツ・・・」。

 (注:「カンシケツ」とは「糞かきベラ」のこと。中国にはトレペなどはなかったのだ。)

パウロは言っている:貧に書する道、富に処する道を知り、すべてに満足することを知った―キリストにありて。

今の自分を自分勝手な幻想と比較考量することがすべての不満のルーツ。自分に絶望するならば、キリストにあって足るを知る。まさに「肘外に曲がらず」だ。

Commented by ICHIRO 2006年05月26日(金)19:24

ルークさんは面白い。
ブラック&ショールズのデリバティブや株の話から
数学に物理学に、ついに禅仏教まで、、、。
何やってる人なんですかね???

Commented by Luke 2006年05月26日(金)21:51

私はただ赴くままに遊んでいるだけです。立派な者ではありません。人間はホモ・ルーデンス。禅的には三昧(ざんまい)ですね。基督三昧と言うか、剣禅一如ならぬ、信禅一如と言うか・・・。如(タタター)を求めつつ・・・。