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共通点

本日は恒例の営業日。午前の講義を終えて、期末試験問題を作り、高校訪問へ。私大の教員は皆さん駆り出されるわけ。昨年までは船橋辺りの田舎の公立校を担当していたが(田舎道を車でトロトロ走り、高校の先生と何気にダベルのもけっこう楽しいのだ)、今年は事務が気を利かせて、我が家から半径5キロ圏内の高校担当となった。キリスト教系と仏教系の2つの私立と、公立が二つ。何とひとつは息子の高校で、しらばっくれて訪問してきたが・・・(汗)

面白いのは私立と公立では教員の資質がまったく違うこと。私立はとても対応がよろしい。公立はやはり役人的。まあ、営業と言っても、推薦枠や指定校枠をチラチラさせながらなので、お互いにヨロシクとなるわけ。それぞれ自分の利益を考えつつ、笑顔で応対し合うわけです。訪問する側も訪問される側も、共通の思惑があるのですね^^

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例の高校生の事件はかなりショッキングな展開になっているが、これだけ恵まれた環境にありながら、どうも自分の身の置き処がなかった感じですね。自己疎外感が相当に強い。青少年の事件は、かつては外に発散していたが、最近はうちに攻撃が向けられるようだ。一方で鈴香容疑者は同級生からも嫌われ、隣近所からも疎まれて、やはり強い疎外感を抱いていた。高校生と鈴香容疑者は生育暦や環境において両極端にあると言えるが、共に自己疎外感あるいは自分の居場所がない感覚を共有している印象がする。

埋没型アイデンティティ(「青信号一人で渡ると怖くなる」的病理)を持つ日本人には、この疎外感は耐え切れないものがあるのだ。共に自分に注意を向けようとする自作自演的犯罪であると言える。ある漫画家がサッカーの敗因は「自己(ジーコ)責任」とダジャレていたが、自己責任を要求される昨今の新自由主義的状況で、自分の居場所を喪失する人々がこれからもますます増えると思う。よってこの手の犯罪もますます増加することだろう。