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絵に描いた餅-ニッポンキリスト教的リバイバル-

ご質問をいただきました。どうしてリバイバルが絵に描いた餅なのか、と。簡単です、今のニッポンキリスト教界を見てみれば明らかでしょう?その「教え」を受けた人たちばかりになってごらんなさい、この日本はどうなってしまうでしょう?とてもではありませんが、立ち行かないことでしょう。私たちはこういう場合、思考実験を行います:もし1億2千万がベニー・ヒン聖会で「聖霊様」に酔っ払ったら、日本社会はどうなるでしょう?逆に世の人はちゃんと判断しているのです、このギョウカイの異常さを。

リベラルのメインラインには霊的いのちはありませんし、福音派はメインラインへの対抗心でオツムでっかちになっていますし、ペンテ・カリスマの聖霊派はほとんど迷信。妄想を抱えたビョウキの人ばかりのこのギョウカイで、果たして人がマトモでいることができるでしょうか?日本を愛する神は、あえて現在このギョウカイへと人を導くことを制限しているのです。

当たり前を当たり前に、普通のオジサン・オバサンが熟した人たちとして信仰生活をまっとうできる条件が整うならば、神は真の信仰覚醒をなすことができるでしょう。

Commented by うさぎ亭主 2006年06月26日(月)22:38

リベラル、オツムでっかち、迷信・妄想・・・
講壇からまっすぐ御言葉が語られることが少なくなった。説教の時間は「エンタの神様」になってしまった。
「聖書を読む」ひとが少なくなった。だから「エデンの炎の剣は聖霊だった」という珍解釈に「ゾクゾクするような感動を覚えた」なんて大声で言われるようになった。「デボーション」には「献身」の意味もあることが忘れられた。
何より、単純素朴にイエス・キリストを信じる、そんな「当たり前」が隅に押しやられてしまった。
基本に戻ろう。原点に帰ろう。
まず、内なる御霊に、我々の「信仰」を「覚醒」させて頂こう・・・・・・
ちょうど今朝新幹線の中で考えていました。