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家を建てるということ

阿武隈の山の中に生息する人たちの特徴は既成の価値観を脱していること。たとえば、私たちの家に対する価値観は、入れ物としての立派な家を手に入れれば、その中で幸せな家族生活、そして人生を送ることができる、というもの。よって立派な家を手に入れるために金を得ることに邁進するのだが、しばしば金を得ることが自己目的化して、その間に家族の絆が切れている。ようやく家を手に入れたら、その時には家族がバラバラ。

阿武隈の人たちは違う。彼らは家を建てつつ生きることを楽しんでいる。家を自分で建てること自体が自分の生の一部なのだ。それは自分の身の丈にあった家。必要が生じれば、廃材を拾ってはあちこち直しつつ、家が徐々に姿を変えていく。だから彼らにとって完成はないし、完成の暁に入居して、それから生活を始めるという意識もない。

ニッポンキリスト教でも立派な会堂を献堂するのが牧師の勲章であり、その入れ物を得て素晴らしい教会生活を送る、と考える。そのために献金を募り、みんなでガンバルわけだが、しばしばその建築を巡って分裂が起こる。会堂などは借りればよろしい。パウロ自身がローマの借家で福音を伝えているではないか。かくして生きることと家を得ることが分離され、これが人生の罠となる。

神は私たちのような役に立たない廃材を拾って下さり、ご自身の住まいの一部として、現在もなおご自分の家を建て上げつつある。この過程に私たちも関与し、神の住まいとされつつあるのだ。究極には夫婦として、新エルサレムとして、神と人が共に住まう。神の幕屋が人と共にある、が実現する。まさに神は阿武隈の人々と同じことをなしておられる。しかも不承不承ではなく、楽しみながら。神の事業に参加することは、実は大いなる楽しみのはずなのだ!

キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレム(注)が、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。・・・」

【注】「新しいエルサレム」とは都市とか場所ではなく、「キリストの花よめ(黙示19:7)である信徒の集まりである」(前田護郎訳)。エペソ2:15にある「ひとりの新しい人」であり、まことのアダムであるキリストにとってのまことの花嫁エバである(エペソ5:32)。教会(エクレシア)が建物ではないのと同様に、子羊の結婚相手が都市や場所であるわけがない!

Commented by ブヒ Eメール 2006年08月08日(火)10:00

ルークさん、おはようございます!!

>神は私たちのような役に立たない廃材を拾って下さり

本当にアーメン!!感謝です!! 
この一言で朝から涙があふれてきました!!
主の愛はなんと深いことでしょう!!
ただただ感謝しかありません。。。!!

Commented by 愛知県のさっちゃん 2006年08月09日(水)08:34

>会堂などは借りればよろしい。パウロ自身がローマの借家で福音を伝えているではないか

ルークさん、おはようございます!

まったく持って同感です。会堂改築費を多額に毎月献金から積み立て。無理な積み立ては、当然毎月の経費の赤字を生む。牧師館付きの豪勢な建物を夢見る牧師と信徒の姿。

>入れ物としての立派な家を手に入れれば、その中で幸せな家族生活、そして人生を送ることができる

・・ごとく、りっぱな?会堂を手にすることは牧師や信徒の誇り、しいては良き証になる???と思い込んでいる。

「この宮が廃墟となっているのにあなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。・今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。」
ハガイ1:4〜 ・・・と。


耳あるものは聞きなさい、といわれる主の御言葉を噛み締めています。