個別表示

人間イエスの葛藤に思う

少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」

イエスはこのとき明らかに「杯」を回避しようと願った。が、それは父の御旨ではないと知っておられた。イエスの意志と父の意志が葛藤したのである。

主は何を恐れたのであろうか。イエスがもっとも恐れたこと―それは磔刑の苦痛ではない。人類の罪に触れること、いやそれをすべて引き受けること、いやさらに一体とされることだ。汚れをまったく知らない聖なる方が罪とされること(1コリント5:21)。病んだ人間の心の事実に直面することは、実に、イエスですらためらわれ、恐れたのだ。それほどに人の心は汚れ(マタイ15:18)、病んでいる。

人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。

再建主義の富井さんが救世軍の山谷さんに再び挑戦しておられる。山谷さんはもはや乗られることはないだろうが、富井氏の「黒か白か」、「0か1か」の有無を言わせないスタンスは相変わらずだ。もちろん真理にはグレーゾーンはない。しかし私たち人間と霊的世界の関わりにおいては、私たち人間の自由意志、あるいは裁量権の領域がある。神学では中間領域と言うようだが、心理学的にはモラトリアムの領域と言うべきか。ここで私たちは自分の良心と聖霊の関わりにおいて、自分の意志を通すか、神の意志を通すかの選択が任されている。ローマ書2:14に

たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。

とあるとおり。このモラトリアムの領域には諸霊が働きかけ、イエスに対して悪魔がなしたように時に誘惑し、葛藤するイエスに対して天使が仕えたように時に私たちが神の意志を選べるように助けてくれるのである。

実に天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。

イエスの苦しみの足りないところを補うことは真に栄光でもあるが、私的には避けたいのだ。ある人の祈りがある:「主よ、今はあなたに従えません。しかしあなたのは必ず私を服させ、あなたが勝利されることを私は知っています」。

人間性を忘れ、いのちに仕えない神学などは何の役にもたたない。それは見かけは立派でも食べたら腹を壊すいのちのない蝋細工。それ自体が

人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。

神は人になられた。しかも30年、ナザレで淡々と大工の倅として生きられた。この奥義は真に奥義である。

そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。

【追記1】富井さんのパーシャルプレテリズムに基づく黙示録の構造図解は面白い。これは資料として保存しよう。

【追記2】山谷少佐の13日の記事は情報として非常に重要です。クリスチャン・トゥデイ紙については脱カルト協会でもやや問題提起されております。しかしこのメガチャーチ幻想に基づく「教会国家」はヒトラーの「第三帝国」や「文化大革命中国」と同じ臭いを醸していると感じ、私も鳥肌が立ちますね。前に書いた予測の不気味な成就です。ここで紹介されている「キングダム・ロスト」は私も気になっていた作品です(最近「キングダム・ニューヨーク」とか言うマルチ商法詐欺をしていたのがあったりで・・・汗)。

Commented by MajorMak Eメール URL2006年09月15日(金)11:40

せっかくですから、すこし食いついてみましょう(笑)

富井氏はご親切にも小生に「最低でもカルヴァンのキリスト教綱要を読め」と勧めてくださっています。まことに感謝なことです。

しかし、小生は、「富井氏がカルヴァンを読んでおられないこと」こそが最大の問題だと思っておる次第です。

なんとなればカルヴァンは

「われわれが、神への敬虔を損なわずに、儀式律法を廃棄することが出来たように、隣人への愛を損なわずに、司法律法を廃棄することが、確かに出来るのだ。諸国の政府は、『愛』という律法の本質を達成するために、刑罰の程度においては司法律法から異なってこそいても、国家が置かれたその時々の状況に応じて、必要な法を正当に制定することが出来るのだ」と綱要第四編で論じております。

さらにまた「司法律法によって統治するユダヤ人国家のごときものを、現代に再現する必要はない」と申命記講解説教で述べております。

なお、富井氏は、「二項図式」が、聖書由来、カルヴァン由来の正統だ、とも主張なさっておられるようです。

しかし、聖書の世界観は「神・天使・人間」という三項図式であり、カルヴァンの世界観は「神・摂理・人間」あるいは「聖定・摂理・自由意志」という三項図式なのです。

富井氏は、いまいちど、カルヴァンの著作を味読熟読された上で、改革派の神学校の通信でもお受けになられたらよいでしょう。

Commented by Luke 2006年09月16日(土)19:46

富井氏にはすでにミームの伝播様式である刷り込みにより、ある種の選択的フィルターがあるのでしょうね。見ても見えない、と言うか、前意識的(意識に完全に上る寸前に検閲がかかる心理機制)にネグレクトあるいはディストーションするわけです。

その後の詳細な情報を感謝いたします。クリスチャン・トゥディ紙についは脱カルト協会でも出自が怪しい(特に統一協会との関連疑惑)として監視中。ニッポンキリスト教はあまりにもナイーブですから、少佐の時代ウォッチングの感性と働きはとても重要と認識しています。