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人は良心を決して偽れない

下で紹介した文書をお読みいただくと、日本福音書房社長のH氏はリーに関する真実を自ら知っているし、認めている。が、それを信徒に語るとつまずくから語れないと言うわけ。ここには明らかに偽りがある。信徒がつまづくことを恐れているのではなく、自分の手から彼らが離れることを恐れているのだ。なぜなら自分が血を流すほどに努力して得た者たちだから。そこにあるのは強烈な自分(Self)なのだ。自分を守っているだけ。見事な自己欺瞞である。

一方リーの直系の弟子だった中国人Y氏(日本の「使徒」)の証言もまとめてあるが、彼は一切の事実関係を捏造であると否定している。ところがリー・スキャンダルを最初に口にし出したのは彼だったのだ。しかし彼は途中でリーに屈して翻意し、最終的には精神科にかかるほどに心を病んだ。その弁護士の通告書、脅迫まがいの電話と手紙もいずれ公表するが、「お前は僕を殺す気か・・・」と妄想じみた発言をしている。私が真実を語ることを真に恐れたのだろう。良心を偽った刈り取りである。リーを拒絶した子供たちとも縁を切り、現在は孤独の中にいる。(しかし私はどうも妄想系の人物に絡まれるなあ・・・が、やや哀れさを覚える次第)

かくして人は偽りに落ちるならば、必ず病む。H氏も心臓を病み、Y氏は精神を病んだ。何かを守ろうとするならば、それを失うのだ。主は言われた:

自分の魂の命を救おうとすれば、それを失い。失えば、それを得るであろう。自分の十字架を負ってわたしに従いなさい

と。自分の努力、自分の成果、自分の何か、これらを失うまいとすればするほど、もっと大切な何かを失うのだ。人には霊がある。その一部が良心であり、人の心の灯火である。そしてこの良心を偽ることは決してできない。あの山崎豊子の名作『白い巨塔』の財前と里美の生き方に明確に描かれている。

逆に良心が安らかならば、人からの攻撃や批判はさほど問題ではない。私も「2ちゃんねる」で「在日の星」とか言われているわけだが、別に目くじら立てる必要もない。私は大昔の祖先はいざ知らず、当面の血統は純粋な日本人だからだ・・・多分(笑)。主は良心に何らの曇りもなかったゆえに、他者の罪を引き受けることすらおできになった。良心は何に代えても守る必要がある。

現在私の元にある資料をすべてpdfファイル化する作業に入っている。ホームページだと改竄される危険とサーバーが消失する可能性があるため。今回紹介する文書はウイットネス・リーのオフレコでの長老たちへのメッセージである。これを読むとヒトラーの最期の様を彷彿とするのだ。

ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2006年11月14日(火)23:42

Titus Chu氏の検疫のBBS見てたら、名台詞がありました。

>God made the heavens, then rested.
>God made the earth, then rested.
>God made me, then NOBODY rested.

キリスト教界の本質を突いています。う〜む。