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主の招き

イエスの元に資産持ちの若者が来て言った。

「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

この時イエスはどのような気持ちでこの若者の背中を見つめていたことだろうか。この若者の悲しみは自己憐憫に過ぎないが、イエスの悲しみは愛による。

私たちもしばしば同じである。主の新しい招きに対して、私たちの思いは訴える、「まだ求められるのだろうか。自分はもう十分やっている。そんなことできるだろうか。いや、自分には無理だ。これ以上要求されるならば、もうついて行けない・・・」と。新しいチャレンジがあるごとに、その人の心が露にされるのだ。何を信じ、何に頼っているかが・・・。知的な者は理屈で自分を正当化するだろう。感情の人は怒り出すだろう。あるいは落ち込むかも知れない。いずれにせよ、自分において富んだ者は去っていく。しかし貧しい者はますます自分の無力を告白し、主のみに頼り、主の真実を味わう機会とするだろう。私も去っていく人を一切引き止めることはしない。