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ホワイトカラー・エグゼンプション?

本日で後期の講義は終了。後は試験を残すのみ。これからは講義の枠が外れるので、かなり自由が利くのだ。

で、私の本にもカタカナが多いとご批判をいただいたが、安倍さんはさらに上を行っておられる。何だ、この「ホワイトカラー・エグゼンプション」って?英語のスペルは"White Collar Exemption"らしいが。直訳すれば、「事務労働者控除」だ。で、最初は給与所得者も実費経費控除を受けられるのかと期待したが、違うのだ。勤務時間を自分で自由にマネージできる代わりに、残業代はなしよ、と言う仕組みのようだ。

おいおい、何だ、これって大学教員の勤務形態だよ。われわれは社会保険制度の観点から一応週30時間を最低勤務時間としているが、実は出勤時間も退勤時間もまったく自由。いわゆるフレックスタイム制度。好きなだけ大学にいてもいいが(中には実験で泊り込む人もいる)、残業代はゼロ。

かつて10年以上も前に、ニッポンの勤務形態と言うか、就労形態はいずれ総予備校講師化するだろうと予想していたが、まさにそのとおりになってきている。予備校講師は別名「チョーク芸者(ホスト)」とも言って、契約は1コマ(90分)いくら。しかし週に何コマ取れるかは生徒の評価(人気)によるわけで、完全な出来高制。私のレベルで90分で3万円程だったが、稼ぐヤツは10万ほども取る。かくして集客力によって大きな格差が生じる(集客力で牧師の価値が決まるらしいニッポンキリスト教界とも良く似ているのだ、これが・・・)。

しかし実は稼いでも取られる分が多くなるだけで(私も税金と社会保障費で年に400万も取られたものだ)、仕事のハードさとの兼ね合いで、年俸1,300万円ほどに抑えるのがちょうどいいのだ。そのように自分で設計してコマを入れるわけ。その代わり退職金、年金、保険などはすべて自己責任。契約は1年ごと。下手すると途中でも切られる。かくして「高給雇い労働者」なわけだ。

まあ、こういった人生設計をしている/いた者から見ると、「ホワイトカラー・エグゼンプション」も当たり前のことであるし、格差社会も当然のことと思えるわけだが。で、前にも再建主義について論じたときに、この社会保障と自己責任のバランスをどこに取るのかが難しいと指摘したが(→コチラのNo.11の記事)、現在の風は自己責任よりに調整タブが動いてきているわけだ。が、実質は企業よりと言うべき。私的には会計原則に則って記帳を義務付け、アメリカと同じく住宅ローンの金利は経費化し、その他ガソリン代なども実費経費控除として真に個人を経済主体として自立させるべきだと考えているのだ。どうも政府はかつての百姓政策と同じで、個人に対しては「生かさず・殺さず」の方針のようだ。

Commented by meek 2007年01月16日(火)12:21

私は経済に関して、まったくの無知、無関心でしたが、LukeさんのHPを読ませていただくなかで次第に関心が出てきました。さらにノンクリスチャンの友人から本多静六、木村剛、荻原博子、橘玲などの著書を読むように勧められ、彼は私の同級生なのですが開業して成功し結構な資産運用を実践しつつある中で、近い将来日本が経済破綻する可能性があるといって経済的に無関心だった私を何とか啓蒙しようとしてくれています。橘玲は「サラリーマンは国家によって奴隷的に搾取されている」とまで書いています。一昔前まで経済的に優位だった存在は大企業のサラリーマンだったが、現代は、成功した自営業者だそうです。そしてサラリーマンが国家による搾取から逃れるひとつの方法としてサラリーマンの「法人化計画」をあげ、個人が「法人化」することによって、会社対個人の雇用契約ではなく、会社対法人の契約関係に入り、それによって会社からの保護はまったくなくなりますが、税や社会保障などの負担は自分で確定申告をして、自営業者なみになれるというのです。lukeさんの今日のエントリと共通点があるかなと思い、コメントさせていただきました。

Commented by Luke 2007年01月16日(火)15:25

なるほど、基本的に私の発想と同じと思います。大事なことは、何となく源泉徴収されて、何をやっても無駄だといった投げやりの姿勢を改めることです。問題意識を持って、事に対して主体的に関わることは、経済でも信仰でも同じですね。