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驚きますね

再建主議は超民俗化かつ普遍化されたモーセ律法をそのまま社会の司法制度として適用すべしと唱えるわけですが、富井さんがこうおっしゃっています:

Q.一応わかりましたけど、つまり神による統治社会が来たら、石撃ちの刑を復活させる、と言う事でしょうか。

A.石打の刑というと、何か野蛮なイメージがあるかもしれませんが、しかし、神が聖書の中において命令されたのです。どうして「野蛮だ」と、僕の分際でしかない我々が叫ぶことができるでしょうか。

処刑は、公開で、しかも、社会の構成員がじかに手を下すべきです。そうすることを命令した神の知恵は、我々の知恵をはるかに超えています。

ここで現代の専門家による死刑執行などの司法制度が不備であるとしているわけです。

私たちはこう理解しているのですね。レビ系のモーセ律法(石に書かれた律法)に代わって、メルキゼデク系の律法(心に書かれた律法)、すなわちいのちの御霊の法則が私たちの内に御霊と御言葉によって働くわけです。このいのちの御霊の法則はモーセ律法の上位互換であり、この法則に則れば自動的にモーセ律法、否、さらに高いレベルの神の基準が満たされるわけです。これを私はMS-DOSとWindowsの関係で説明したわけですが、ついに理解されませんでした。

このいのちを生かし出すことが私たちの証しであり、このいのちを人々に伝えることが私たちの任務であるわけです(御国の拡大)。なお、再建主義との対話はこちらをご参照下さい。いやあ、しかし市民が自らの手で石で公開処刑せよとは・・・スゴイ主張です。この調子ですと、中絶を行った女性はやはり公開死刑に処するべしとなるわけでしょうか?

Commented by Luke 2007年01月22日(月)21:06

う〜ん、再び富井氏がすごいことをおっしゃっています(1月22日記事)。「神は、人間をいけにえとして創造された」とか、「われわれは血みどろの権力闘争の中にいる」とか。現在の人間視点(ヒューマニズム)のキリスト教界には彼と同じように感じていますし、彼の主張には同意できるところが多々あるのですが、しかし本質的に何か、どこかが違うのですね・・・。エデンの園を見て下さい、と私は言いたいのですが。

メッセージでも語りましたが、一部の聖霊派が夢想しているようなキリスト教徒天皇をいただいたキリスト教国家ニッポン(教会国家)などができれば、それはそれは空恐ろしい光景が展開することでしょう。現在のニッポンキリスト教の状況を見れば容易にどんなことになるか推測できるでしょうに。それは不気味にして怖いですよ。