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『金妻』クリスチャン・ヴァージョン^^

昨日の『金妻』に対してとても楽しいレスをいただいておりますので、ご紹介します:

Yさん:いやー、最後の『金曜日の妻たちへ』には爆笑しました。

こちらではなんだか、親戚・友人・兄弟でもうやっておりますよ、楽しくお食事を。ガス問題をかかえつつも、ますます集まりそうな予感・・。

これにいのちを感じるクリスチャンの小さな交わりがプラスされた感じ。(これがすごいもりあがり、あたりまえだけれど・ノンアルコールでね♪)

それではー。

小生:そう、こういった交わり(コイノニア)があちこちにできるのが私の夢なのです。

Yさん:交わってみてすごいのは穏やかなものが流れ、まるで温泉につかったようになります。ただ一緒にいるだけで。それで、また交わりたくなるんです、皆同じ気持ちですね。「御霊に満たされなさい」お言葉どおりです。

小生:そう、これこれ、この体験ですね。牧師なんて不要でしょう(笑)

ちなみにemiさんも同様の証しをされています(→コチラ)。信徒の交わりこそが教会(エクレシア)の表現なのです(使徒2:42)。教会を牧師の野心実現の場あるいは牧師の生活維持の場としないように。「現代の宗教改革」などの妄想に振り回されないように。「リバイバル音頭」なども踊る必要もありませんし、自然と、力を入れず、楽しく、ぬくぬくと、キリストを中心に集まり、キリストとそれぞれの生を共有すればよいのです。あえて言えば、リバイバルとは牧師が失業することでしょうね(笑)

Is'nt it so simple, is it?