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本日の一冊

アップロードファイル 59KB捏造された聖書』(柏書房)−ノースキャロライナ大学宗教学部長にして、聖書本文批評の専門家による聖書の改竄の歴史を論証した本。著者はもともと監督派教会出身。十代で「本物の"再生"を経験し」、儀式としてのキリスト教から脱皮し、きわめて熱心な福音主義かつ聖書原理主義クリスチャンとなり、ムーディーズ神学校から、ホイートン大学へと進み、ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語を学び、ついに霊感されている聖書本文は存在しないことから、聖書学を学ぶほどに「信仰を保つことに困難を覚えるようになった」とのこと。結論として彼は、聖書はあくまでも人間が神についてそれぞれの意見を述べた書物に過ぎないと言う。

と言うわけで、学ぶほどに信仰を持てなくなる−何と言う逆説!?確かに写本しか残っていないわけで、現存する聖書のテキストに転記ミスや意図的改竄があるかもしれない。そこで福音主義では、原典において霊感された神の言葉であると信じる、とするわけです。リベラル系になりますと、まさにこの著者のように聖書は人間が神について記録した記事に過ぎないとなるわけです。実際、前にも書きましたが、処女懐胎をも信じない方々がいるわけです。聖霊派では御言葉はそっちのけで、「悪霊よ、出ろ〜」、「主は・・・と言われます」・・・。

いかがでしょう、こう言った本や主張で皆さんの信仰は揺るぐでしょうか。もし揺るがないとか言えば、妄信しだとか、MCされてカルト思考にはまっているとか言われるでしょうね。で、Dr.Lukeはどうなんだと問われますと、私はあまり葛藤は覚えないのです。なぜならそのお方こそが私の信仰の対象ですから。

Commented by ゆっきー 2007年03月08日(木)00:13

神学校に行って信仰を失う、典型的な例ですね。
自分の場合は福音派の逐次霊感論に疑問を感じていたときにカトリックに移りました。
カトリック神学に接して確かめたことは、まさしく「あの方」に出会えたという喜びであり、聖書は教会の文書として「あの方」を指し示す正典(カノン=ものさし)であるという事実でした。
カトリックの場合、超保守派から超リベラルにカリスマ派、政治的にも極左から極右までいます。なんでもありです。でも、多くの人はみ言葉としるしによって「あの方」に出会っています。そのような出会いがあればどの教会にいても信仰は養われ、「あの方」の復活のいのちに生かされるのだと思います。

Commented by Luke 2007年03月08日(木)08:20

おっしゃるとおりですね。感謝いたします^^

Commented by Luke 2007年03月08日(木)08:56

ちなみにこの著者は昨年話題になった『ユダの福音書』(http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_1.shtml)の編者のひとりでもあります。ナショナル・ジオグラフィックを読みましたが、その本文に覚える理屈を超えた霊の違和感が偽りであることを教えます。内なる真理の御霊が教えてくださるのです。(CTについても同様の感覚を覚えるわけですが・・・)

Commented by ひろこ 2007年03月08日(木)17:45

今ではあのお方に出会えて、平安の中にいるわたくしです。周りのことはかかわりのないことになりました。もちろん普通のことを普通にしながら、心からであえてよかったと、喜んでいます。