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くまえりさまにみる自己の病理

わが故郷の諏訪を震撼させた放火魔「くまえり」こと平田恵里香容疑者に懲役10年の判決。その時の彼女の言にいわく、「これじゃあ、出るときは32歳。20台は人生をもっとも楽しむ時期なのに、刑務所で過ごすなんて、もう人生終わった・・・」。やれやれ、どこかズレていませんかねぇ。まあ、ホリエモンでも同じ印象を受けましたが、視点が自己にしか置かれていない。これが現代の自己愛性人格による「自己の病理」の典型。

ニッポンキリスト教も同じ。自分が大切にされること−これがすべて。あなたは神のVIPと。しかし主は言われる:

わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の魂(原語)を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために魂を失う者は、それを救うのである。

どなたかがBBSに書かれていたが、主イエスが今日ニッポンキリスト教(ばかりでなく、アメリカのメガチャーチなど)をごらんになったらどう言われるであろうか。多分こう言われるだろう、「キリスト教?それはいったい何なのか?」

Commented by まあまあ 2007年05月24日(木)14:12

ところで、国際評論家小野寺光一氏の「政治経済の真実」というブログがあります。
そこには、下記のような記述があります。

http://blog.mag2.com/m/log/0000154606/

>今月号の「創」という雑誌で、くまえり(長野で放火した女の子)の手記が載っていたが、
>そこには、「どうしてあんなことをしたのか自分でもよくわからない」
>「ところで、留置場には、私のお気に入りのパキシルがない。
>私は昔からパキシルをとっていたのに」という記述がある。

>パキシルは、今問題の 覚せい剤類似物質である。

>つまり
>「どうしてあんなことをしたのか自分でもよくわからない」

>「ところで、留置場には、私のお気に入りの覚せい剤類似物質(パキシル)がない。
>私は昔から覚せい剤類似物質(パキシル)をとっていたのに」

>と言っているようなもので、

>本人は、実はその覚せい剤類似物質をずっとお気に入りでとっていたことが、
>衝動的な放火の原因だと知らないのである。

ようするに、くまえりこと平田恵里香容疑者はパキシル中毒だったという主旨です。