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慣れることの恐れ

日本社会への警告で宮内さんが、慣れることの恐れに警鐘を発している。確かに90年代以降、あの宮崎勉による事件を始めとして、この手の犯罪が増えているが、私たちはあまり驚かなくなっている。

無感覚。これもひとつの心を守るための自己防衛機制である。今日のメッセージでも語ったが、牧師が覚醒剤に手を出し、女性を投げ落として殺す。しかし、この業界、あまり驚いてはいないようだ。いのちの歩みにとって無感覚は致命的。臭い部屋に長くおれば慣れてしまう。タバコを吸う人も一度ヤニで汚染された肺の病理標本を見たらよい。

バブル崩壊以降、日本は変わった。ニッポンキリスト教も大いに変質した。お笑いで福音を語るとか、「10分毎に笑いを取る説教をするためのセミナー」とかに2-300人の牧師が集まるのだ。イエスの十字架の福音を笑いのネタにすると・・・。慣れてしまうとこれが当たり前になる。人が救われればなんでもよいと。人に媚び、人をおだてる伝道。参加者の動員数で神の祝福を計る教会や聖会。しかし「キリスト教徒になること」と「キリスト者になること」の間には致命的なギャップが存在する。

倒錯が倒錯でなくなることに無感覚になること−今後この世も、ニッポンキリスト教界もこの病状がますます深くなるだろう。対策は−タバコの煙から離れること。すると鼻は元に戻る。騒がしい処を避けること。すると耳も繊細になる。主もしばしば大衆から離れ、ひとり山に篭り、父と交わったのだ。・・・いわんや、私たちを哉。ニッポンキリスト教から離脱するためにアーサー・ホーランドのようになる必要はありません。普段着の普通のオジサン・オバサンのままで退きましょう、父との交わりの中へ。

主の家の大庭にいる一日は千日にまさる。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2007年04月16日(月)08:18

ベニーヒンが君が代を歌わせたりしても、誰も異を唱えないし、確か今年は東京でやるんでしたね。カエルをいきなり熱湯に入れると暴れるが、水に入れて少しづつ熱すると、気持ちよくご臨終されるそうです。気持ちよくなりたい人たちが多いです、私の周囲にも。

Commented by kenji 2007年04月16日(月)18:08

イレズミ牧師にも慣れてしまいました。(汗)
人を外見で判断してはいけないわけです。
神は心をご覧になるから。

さて、牧師が信徒をレイプする。
レズやホモの牧師。
クリスチャンの一家心中、離婚など。
よくある話じゃないかぁ。

Commented by ICHIRO 2007年04月16日(月)20:25

嗚呼、私も狂ってしまいそう、、、汗