個別表示

注ぎ出すことの祝福

下にも書きましたが、ニッポンキリスト教にあっては献金が大きな躓きになっているようですね。特にいわゆる1/10献金を強制されて、それで相当にまいっている人や、神に呪われるのが恐ろしいとか、さらには恨みを抱いている人などが多いようです。

実は、自分の何かを捧げること、さらには自分自身を注ぎ出すことあるいは自分を無にすること―これはもっとも大いなる祝福なのですが、キリスト教と言うシステムの中ではあまり味わえない経験のようです。私も献金では主を試みたことがありますが、御言葉どおりでした。

どうもニッポンキリスト教で躓きますと、「自分を注ぎ出す」などに対しては、「Dr.Lukeはカルトだ」とか言いたくなる人もいるようですが、そのような心の状態は貧しく哀れなものです。自己をすべて("神")とする人の兆候です。

英国のKingdom FaithのColin Urquhartが最近のメッセージで、自分を注ぎ出すことの祝福をシェアしています。よろしかったら、お聴きください。またウォッチマン・ニーの言葉も紹介しておきます。

"Receiving from God" by Colin Urquhart

働きに倦む時に by ウォッチマン・ニー

Commented by 23 2007年05月09日(水)23:13

笑いましたが、私もほぼ同じ考えです。

自分や自分の教会のためだけに注ぎだすことを求めるのではなく、
主に注ぎだすことを勧められたり、
主に注ぎだせたりする兄弟姉妹は幸いだと思います。

Commented by Luke 2007年05月10日(木)06:37

救世軍の皆さんは、この時代にあえてご自分を貧しさと言う弱さの中に閉じ込められていること、感銘を受けております。真に注ぐことの祝福をクリスチャンが知れば、これは主がリバイバルへの道を得られますね。

Commented by 23 2007年05月10日(木)10:46

全くおっしゃる通りだと思います。
ダビデ張のためだけに注ぎだされている彼らが、
主のために自分を注ぎだすことができれば素晴らしいですね。

Commented by ぽん 2007年05月10日(木)19:09

なんと人間の肉の業におぼれた教会と名の付く
団体の多いことか・・・・
教会ではあるがエクレシアではない!組織。
ケンキン袋というものがあるということに受洗した後
非常に驚きを感じたが、イマダに私はなじまない・・・
聖書で言うところのセカイと全く違うとかんじるから。
執事や役員達は少しでも経済的に安定させ、
「神の国を前進させるには必要なこと、」そう思って
いるのだろうが、いくら払ったか、ささげたかは
主のみが知っておられればいいこと・・・
たとえ教会がそれによって目に見えるところが
不安定であっても、一向に構わないのではないか?
そう思う。それなりの信仰にシフトしてゆくわけだし
会堂が無くても礼拝は出来ます・・・
思うに日本の教会から会堂をなくしたほうが
教会?群れは成長すると思う・・・
4,50人しかいない中で、信仰によって
なんちゃって会堂をなまじ建てたりするから
お金で縛られる。会員同士が裁く、奉仕の件で
もめる・・・霊の解放どころか、重荷の負わせ合い。
神の群れは人を管理する場所ではなく、
人を見つけ出し活かし自由を与えるものであるはず!
この世の地上の法則から解放されなければ、
(少なくともお金や、経済、教理的縛り、組織依存)
魂の救われる場所には程遠い???
ような気がしますが・・・・・