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やっぱりですね

う〜ん、やっぱりですね。唐沢寿明と江口洋介ではカルイ。要するにニオイがないのですね。田宮二郎には体臭と皮脂油がありました。濃いオーディコロンがプンプン臭う感じで。まあ、新しいドラマとして見ればいいのでしょう。

最近の役者は体臭がなく、存在感が薄いところを、オーバーアクションでごまかそうとするために、滑稽になるわけです。クリスチャンも、同じように、臨在をただようわすのではなく、賜物や金歯・金粉の現象の追求に走っているので、浅薄になります。臨在感を伴う存在感、これを求めたいです。

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駿台での講義の為に朝10時に車で出たときの話。交差点で右折をしようと真ん中に入ったところで、なんとガス欠。車が新しいので、ガスメーターの感覚がないため。焦りましたね。警察を呼び、JAFに電話して待つがなかなか来ない。そこでペットボトルを持って近くにGSに走り、500ccだけ補充して、かろうじて脱出。冷や汗ものでした。

ところが夜9時過ぎに駐車場から出ようとすると、またガス欠。500ccあれば4,5キロは走れると計算していたのですが、タンクの中で気化してしまったようです。またまたGSに走り、今度は5リットルタンクを借りて、ようやく帰路につきました。走りましたね、冷や汗をかきながら・・・。やれやれ。

ちなみに、車はFORDトーラスからエスケープに乗り換えました。わが家は私より大きい子供が2人もいるので、国産車では小さいのですね。

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世界史の先生と話していると、彼いわく、「イラクでは独裁でないと、彼らはやっていけないのですよ。とても自主独立などできません。独裁を壊す前に、なぜ独裁が起きてきたのか、そこを考えていないので、アメリカはド壷にはまっています。それにしても、日本はATMではない(これまではそう思っていたわけですね)、などという発言は彼らの横暴さと無神経さを証明していますね。彼らはアホですよ。」まったくもってそのとおり。

しかしクリスチャンでも「主義」にはまっている人はかえってこのような視点はなくなり、事が見えなくなる。ややこしい預言解釈論争や政治思想論争に落ちてしまう。「教条」にはめ込んだ見方しかできなくなるためである。自然の感情や、自然の感受性を大事にしたいと感じている。